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「偏見のない」人を偏見の目で見てみる

「偏見のない」人を偏見の目で見てみる

 昨日久々に「ボクは『そういう人』に偏見とかないから」という発言に出会ってしまったので(こちらの戸籍上の性別を知っている人)、言わずもがなのことを一応メモしておきます。
 そもそも「そういう人」ということで何を言おうとしているかも謎で、この辺りの正確な認識を持っている可能性も低ければそんな必要もないのですが(わたし自身も持っていませんし必要もない)、それはさておき。
 以前某所でアキバ系のお兄さんが話し掛けてきてくれました。多分「ニューハーフ」という認識だったのでしょう。
「ボクは『そういう人』に偏見とかないし、関心があるんだよ」
 ふーん。
 悪いけど、わたしはアキバ系に偏見アリアリで、しかも関心ないです。
 「偏見がない」などとほざくヤツらは、実に余裕しゃぁしゃぁです。
 この人たちは、普段の人間関係でも「ボクはキミに偏見とかないから」などと自らの良識ぶりをアピールされているのでしょうか。一度社長にでも同じセリフを放ってみて頂きたいです。
 ことわっておきますが、こういう発言をする人たちが悪意を持っているなどとは微塵も思っていません。疑いなく善意からの発言でしょうし、「イイ人」なのは間違いないでしょう。ただちょっと頭の回転が弱いだけです。
 悪意からの発言は悪意の向かないよう関係や認識を改善すれば良いのですが、頭の回転というのはCPUほど簡単にクロックアップ出来ませんから、なかなか根が深いです。「バカな善人より利口な悪人」です。ある種の善良さこそ、不寛容を涵養する「寛大なる優しい権力」を下支えしているのです。闘争が部分的譲歩によって解体されていくのと同じ構図です。
 「偏見のある/なし」などという選択肢が生じてしまった時点で、そこには一本の「/」が引かれています。違いはあるのです。「差別じゃなくて区別」などというテレビくさい詭弁を使うくらいなら、素直に偏見を認めれば良いのです。ちっともおかしいことではありません。
 そんなことより、「偏見ないから」などと口にすることで、自らは安全な多数者だとでも思い込んでいるのでしょうか。人はいつだって潜在的な「少数者」です。しかも「マイノリティの横断的団結」など妄想に過ぎませんから、撃てる時に撃つしか生きる道はありません。
 「偏見ないから」などと余裕ぶっている暇に、危険の芽は早めに摘んでおいた方が賢明というものです。余程自信があるか、危機意識が低いのでしょうか。それとも単に、わたしが個人的にナメられているのでしょうか。
 とはいえ、これで関係終了というわけではありません。まったく逆です。
 救いようのないバカはともかく、打たれて引かず、打って返すなら、そこにこそ未来があります。手を汚さない「寛大さ」というリベラル的怠慢こそ、名付けようもなく美しい個的関係を去勢し、無為の権力を醸成しているのです。
 そういうわけで、昨日このセリフを下さったIさん、その場でも申し上げましたが、是非一度じっくりお話しましょう。その無敵の笑顔と太っ腹、漢と見込んでケンカ売ります。
 小娘をひとひねりにしてみてください。やれるものならね。うふふ。
 言うまでもなく、一番アホなのは「偏見のない社会を!」などと自ら「被差別民」を気取ってしまう自称「マイノリティ」です。何度も言いますが、「平等」などという言葉は自分が下だと思っている人しか口にしません。言った時点で既に負けです。
 わたしたちはエリートなのですから、堂々としたら良いのです。さらに「ニューハーフ」だったりすれば、これは職業名なのですから、隣に座られるだけで5万くらい取っていいのです。煙草に火つけるくらいの気はきかさないとだめですけどね……。
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