乙女心は染色体を超える

 先日のワークショップ発言「トランスの含む二律背反と恋愛」で、MtFヘテロの恋愛について、ゲイやトランス好きは男性を評価されているようで恋愛対象としがたく、ヘテロ男性にはカムしずらかったりといった恋愛的「八方ふさがり」に触れましたが(ブログの記事としては「トランスのモテについて」でも書いています)、正確には人のsex orientation性的志向はヘテロ/ゲイ/バイなどとデジタルに切り分けられるはずがなく、受け入れられるか否かというのは、結局人次第です(フーコーに始まりしばしば指摘されることですが、sex orientationが対象の性別という点で大きく分類されていること自体、非常に偏った見方です。なぜ年齢でも、S/M的役割でも、服の趣味でも、出身都道府県でもなく性別なのか?)。
 そもそも、自分自身について考えてみると、原則ヘテロでちょっとバイ?のつもりでいても、はっきり言ってどちらとも付き合ったことがありますし、想像すると結局「その人次第」としか言えません。ワークショップの時に「FtMは恋愛対象になりますか?」と聞かれたのですが、これも一概には答えられません。ただ、少なくともFtMという理由で好きになったり排除したりすることはないですし、逆にFtMやネイティヴの方も、わたしをそういう風に見るのではないかな、と想像します。結論だけ言ってしまうと「やってみないとわからない」という、身も蓋もないものです。
 これはよく考えるとトランスの問題とは関係ないことで、普通の男女の恋愛(あるいは同性の恋愛)であっても、うまくいくことなど誰も保証してくれませんし、出たとこ勝負でしかありません。大分以前にも「恋愛対象になるか否か」という記事で、古い男友達が「自分が恋愛対象にしたい人が、こっちを恋愛対象にしてくれないなんて、よくあることでしょ」と言ってくれて、ハッと目が醒めたことを書いています。
 自分で書いておきながらいつまでもこんなことを問題にしているのは、この問題に解答がなく解きがたい謎であるからですが、加えてわたしがしょっちゅう恋愛のことを考えているからでしょう(笑)。
 まったくもって、本当に、恋愛などというものは性的志向も性自認も超え、オッズもわからない博打を打つようなものです。だからこそ奇跡的なジャンプがあり得、トランスの二律背反に対して不合理なまでの希望を開く鍵を握っているのです。
 トランスの二律背反の「解決」とは、絶対矛盾が解消されるなどという語義矛盾ではなく、その問題自体が大きな問題系に溶け込み、個別のものして取り上げられなくなるところにしか見出し得ません。さらに言ってしまえば、これは恋愛というチャンネルを通じて、トランス現象のそもそもの根底に横たわる「違和感」が、それとして受け取られなくなる可能性を仄めかしています。
 というか、本当に言いたいことはこんなややこしいことではなく、好きになったらしょうがないじゃん!というか、タイトル通り乙女心は染色体を超えるし自分でもどうしようもないよーん、というそれだけのことなのですが(笑)。

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