ポストオペレーション・サバイバル

 先日ある友人と久々に再会し、色々考えさせてもらえる機会がありました。
 彼女はネイティヴの女性ですが、考えてみると縁はトランス関係、という不思議なつながりです。
 かつて宝塚系の劇団で男役を演じFtFTV?的季節を経験した彼女は、単に「繊細な少女」に留まらないジェンダー・セクシュアリティに対する過敏性を備え、MtFとも交流を持ち、女装者からGID自助団体にまで接触する希有な人物です。
 トランスセクシュアリティに対する世俗的な謬見を越えていることはもちろんですが、漫画的な「GID言説」にも正常な懐疑を抱くことができ、「心は女」を振り回す「困ったオジサン」の手に負えなさまで(イヤというほど)理解している彼女とは、色々な点で非常に話が通じ、久しぶりにリラックスして楽しい時間を過ごすことができました。
 同時に、久しく忘れていた話題に触れ、改めて考えたことも多々ありました。思考の断片をメモしておきます(以下は基本的に、彼女との再会からわたしが勝手に考えたことであり、彼女の考えを伝えるものではありません)。
 まず「久しく忘れていた」というところが大きなポイントです。
 現在、わたしは戸籍の変更も終了し、周囲の誰にもカミングアウトしていない状況で生活しています。自分がトランスセクシュアルである(あるいは「あった」)ことを文字通り忘れるわけはありませんが、(ダイレーションを除いては)特に意識することもないですし、話題にすることもありません。というより、話題にしてしまったりしたら社会生活上致命的ですから、何があっても触れることはないでしょう。
 だからといって、わたしが「ちょっと変わった身体」の持ち主である事実が消えるわけではありません。
 以前ワークショップでお会いしたポストオペMtFから、「健康保険証の性別まで変えられるのは嬉しいけれど、万が一突然倒れた時など、適切な医療を受けられるのか不安だ」といった意見を伺いました。
 これは非常に良く理解できます。実は先日、わたし自身が文字通り通勤途中で倒れてしまい、救急車で運ばれる経験をしました。意識を失っていたわけではないですが、心電図を取るために胸を見せる必要が生じたときは、かなり迷いました。
 ポストオペとはいえ、身体をよく見れば判別はつくでしょう。「事情を伝えられずに適切な医療を受けられない」というのも怖いですが、同時にこんな状況で「事情を話さなければならない」というのも苦痛です。
 もちろん、世の中には色々な「持病」を抱えている人がいて(偶然にも件の彼女もその一人)、別段トランスセクシュアルだけが特別なわけではありません。しかも「変わっている」とは言っても、それほど致命的に特殊な身体なわけでもありません(実際上、MtFの場合エストロゲン製剤の服用事実を伝える必要はあると思います)。
 問題は「カミングアウト」が持ってしまいかねない特別な意味の方でしょう。
 『セックス・チェンジズ』では、プレオペのMtFが救急車で運ばれる時に「バレて」、正当な医療が受けられなかった結果致命的事態に陥った事例が紹介されています。
 日本国内については、それほどひどい扱いを受けることもまずないとは思うのですが(実際、倒れたときに仕方なく「事情」を話したところ、その時の医師は深い共感と理解を示してくれました)、こんなことが精神的プレッシャーになるだけでも、いささか不当に感じます。
 「ポストオペレーション・サバイバル」と題した一つの意図は、このような社会的・医療的問題です。
 これは特殊トランスセクシュアル的問題ではありませんし、今後の社会的(外交的)アプローチにより改善されていく見込みもあるでしょう。良くも悪くも「トランスセクシュアルは大変」ということを示しているわけではありません(例えばHIVポジティヴの方はこの一万倍も「大変」でしょう)。
 もう一点は、このような実際上の「サバイバル」というより、とにかく生き延びてしまったこの人生で、自らのトランスセクシュアリティ、そしてジェンダー・セクシュアリティとのあまりに因縁深い係わり合いをどう扱っていくのか、という問題です。
 ポストオペの自殺について何度か触れましたが、当然ながら多くのトランスセクシュアルは適合手術を通じてそれなりの平凡で幸せな生活を手にしています。
 それでもなお、何らかの「ポストオペ独自」な問題を考えるとすると、まず二つのパターンがありえます。
 一つは適合手術後なおパスしきれず、「アガリ」であるにも関わらず希望の性別の生活を手にできない、というパターンです。ある意味「もう打つ手が無い」わけですから、事態が深刻であるのは言うまでもありません。
 しかし(非情にも)個人的に関心があるのは、むしろ完全に同化してしまって、ちゃんと希望の性別での生活が送れてしまっているパターンです。
 その中にも二つのポイントがあります。
 一つは、特に(わたしを含めた)MtFは非常におバカで、オペさえすれば「突き抜ける」ことができるようにイメージしてしまっている危険です。当たり前ですが、GID治療と異なり人生に「アガリ」はありませんから、「めでたしめでたし」で幕を閉じたりはしません。そこには極普通の平々凡々たる幸福と不幸があるだけです。
 このことを頭でわかっていても、いざ到達するとなんとも虚しい気持ちになることは多いにありえます。単にMtFがバカだから、というだけではなく、この過程が(人によって)余りに過酷で多くの労力(と財力)をつぎ込む必要があったため、どうしても思い入れが深くなりすぎてしまう、ということもあるかもしれません。
 今ひとつのポイントは、「希望のために奇形をより深く」した結果、一層の孤独に陥る、ということです。
 ポストオペ女性の中には、普通の女性として恋愛し、その後カミングアウトする状況を迎えながらも、きちんと問題を乗り越え幸せになっていらっしゃる方もいます。また、極めて完成度が高ければ、恋愛上のパートナーにも悟られず生活することも不可能ではありません。
 これで一通り満足なら問題ないですが、孤独や満ち足りなさを感じるケースも少なくないはずです。
 もちろん「すべてを受け入れてもらう」などということはあり得ませんし、わたし自身、周囲の人間にカミングアウトしようなどという気持ちはさらさらありません。また基本的には不満でもありません。
 しかし一つには恋愛上多少不自由がある、という点があり、また本当に気兼ねなく話せる「同性」との接点がますます少なくなってしまう、という点があります。
 オペ前であっても、一定以上の完成度に至ったトランスセクシュアルは、コミュニティから離れていくものです。生きていく上での切羽詰った必要性がなくなるからです。
 もちろん「同性」であったからといって、話が通じるわけではありません。個人的な経験としては、むしろ辟易することの方が多いです。普通の男同士や女同士でもそれだけで友達になれるわけがありませんから、これは当たり前です。この場合「同性」というのはカッコ付きの「同性」で、要するに「特殊な経験をシェアしている」ということではありますが、それでも絶対の絆などにはならないでしょう。
 ましてトランスセクシュアルは原理的にトランスセクシュアリティそれ自体にアイデンティティを持ちえません。「希望の性別」への同化を求めるなら、むしろ「元トランスセクシュアル」であることは恥部ですらあるでしょう。この感覚も非常によくわかります。
 それでもなお、「特殊な経験」を分かち合いたい気持ちがあります。
 わたしには一人だけ心から信頼している「同胞」がいますが、彼女との間に感じる共感は、単に「話が合う」というだけでなく、この特殊な経験とそれに対するスタンスを(同胞の中でも希有なことに)かなりシェアしている、ということにも因っているでしょう。
 自ら「恥」としてコミュニティから離れてしまった「元トランスセクシュアル」は、なかなかそのような出会いを持てません。わたし自身、同胞の友達が欲しいという気持ちもありつつ、やはりコミュニティやネット上で接点を持つことには非常に抵抗があります。
 また個人的に、トランスセクシュアリティ自体というより、ジェンダー・セクシュアリティについての思考を分かち合いたい、という気持ちを強く持っています。ですから、逆に言うと、この点については別段相手はトランスである必要はありません。
 実は件の彼女にはこの共感を強く感じています。彼女も「トランス自体のことはそれほど興味がない、ただ一般の人がジェンダー・セクシュアリティについてあまりに無知・無関心で、話せる場がない」といったことを言っています。
 さらに言ってしまうと、そもそもこのような気持ちを自分が抱いている、ということを、彼女と再会するまで忘れていました。
 久しぶりに「この手の話題」を口にして、(お酒の勢いもあって)素晴らしい解放感を感じ、日常生活の中で意識できないほどに避けていた事実に気付かされたのです。
 公平に考えて、現在の生活がどうあれ、トランスセクシュアリティはわたしの人生を大きく揺るがした一大問題です。「アガリ」になったからといって、この大イベントがどうでもよくなったわけがありません。
 しかもこれは、「口にしてはいけない思い出」なのです。あまりに大きなことがあまりに禁じられているので、その事実すら忘れることで心理的に防衛していたのかもしれません。
 このサイトを閲覧して頂いている方には、こんなことを今更言うこと自体意外かもしれませんが、どうやらわたしはセックスの話が大好きのようです(笑)。
 そして世間の皆様は、この素晴らしくややこしく面白い問題について、MtFのバカさ加減に勝るとも劣らぬほど頭カラッポで、ちっとも知的ゲームに参加しようとしてくれません。実に寂しいことです。
 結局二つ目のパターンの二つ目のポイントについては、わたし個人の話題になってしまったので、あまり一般的なことではないのかもしれません。
 ですが、たった一例であったとしても構造的な事実は揺るがないでしょうし、わたし個人にとっては大事なことですから、もっぱら自分のためにもう少しセックスの話をしようかと思っています。
 彼女との再会で考えたことはまだあるのですが、テーマが異なりますので別稿に分けます。
追記:
 このエントリを書いてポストする間に、たまたまわたしの友人のMtFが仕事中に意識を失って倒れ、入院してしまいました。プレオペで保険証も使えない状況です。自分の時は大したことでもなかったし深刻に受け止めていませんでしたが、やはり医療的問題はシビアだと思い知らされました。MtFのエストロゲン長期服用がどのような影響をもたらすのか等、そもそもわかっていないことが非常に多いですし、情報を共有する必要があるように感じます。と言いつつ、そういったコミュニティから距離を置いてしまっているわたしは問題なのですが・・。
 トランジション真っ只中の人、歩みだした人のための自助団体などが重要な機能を負っているのはもちろんですが、同時にそういったコミュニティに近づきにくくなってしまった「卒業組」の交流があっても良いように思います。「同窓会」だと思ったら面白いのではないでしょうか。ふざけたことを言えば、潜伏(埋没)組が密会したりすると、潜入スパイの情報交換のようで風景的にも楽しめそうです。
 そう言えば、わたしのSRSの主治医が来年にも来日する予定で、その時は元患者さんのreunionができたらいいね、という話をしていました。実現したらステキです。
 別段そんなキッカケがなくても、「同窓会」企画はちょっと真面目に考えたいです。できたらもっと行動力のある方になんとかしてもらいたいですけれど・・。

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