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野良ニューハーフとブラックバス

野良ニューハーフとブラックバス

 「任侠ニューハーフ」でも書きましたが、わたしは最近「ニューハーフ」という語が一周回ってカッコイイイように思えています。
 一応、大前提をご説明しておけば、この語はあくまで職業を表すもので、ジェンダーだのセクシュアリティだのアイデンティティだのといった領域について示す言葉ではありません。また、「MtF=風俗」という先入観を助長するものとして、当事者から忌避される場合もあります。
 またもう一つ言えば、どんな理由であれ、当事者に「自分たちが何者であるか」を正確な用語で回答しなければならない義務はありません。「それ」を名指す必要すらありません。
 カムしなければならない状況になると、たまにぎこちないネイティヴが気を使って「それ」を示す適切な用語を探したりするものですが、そもそも敢えて名前をつけなければならないものではありません。青森出身の人がいても、本籍を書く場面でもなければ、彼あるいは彼女を「青森人」として特別に名づけ区別する必要は全然ないでしょう。
 ここであえて言葉を探してみるのは、単に当事者が当事者のために(というより、わたし個人がわたし個人のために)、おもしろおかしく生きるメソッドを開発する意図によるものです。
 わたし自身、一時「ニューハーフ」という言葉を非常に警戒していました。
 それは上記の通り、この語が極めて「色物」的ニュアンスを含んでいるからでもありますが、それ以上にわたしが文字通りの元「ニューハーフ」で(短期間でしたが)、さらに本質的に「ニューハーフっぽい」キャラだから、という事実の裏返しだと思います。
 ハイ、わたしニューハーフ性格です(笑)。
 顔もニューハーフ面ですが(笑)、「バカ明るくてよく喋るけど、急に落ち込んで死にそうになったりする」「強いのか弱いのか謎」「恋愛話は好きだけれど、リアルな恋愛には実はかなり冷めている」「見世物じゃない!といいながら、実は目立ちたがり」「ウェットな部分とドライな部分の差が激しい」と、ニューハーフ的要素を一式実装済みです。こう書いてみると、「ニューハーフ」って貧しいブラジル人にもちょっと似ている気がしますね。イメージだけですが。
 大体、「ニューハーフ」という単語が既にバカです。
 バカというか、ダメダメです。
 この単語の考案者はサザンオールスターズの桑田佳祐さんらしいのですが、およそシラフの人間のアイデアとは思えません。酔っ払いのオヤジが「男と女の合いの子でニュ〜ハーフって、ウマいねコリャ!」とかテキトーに考えたのが、そのままうっかり定着してしまったとか考えられません。というか、多分本当に桑田さんが酔っ払ってベティのママさんと盛り上がっただけなんじゃないでしょうか(笑)。
 こんなおバカなタームなので、インテリな当事者には嫌われて当然なのですが、逆に言うと「それ」として名指す必要すらない「これ」ですから、いっそ「ニューハーフ」くらい言った方が思い切りが良いようにも感じます。本来職業名を出す場面ではないのだけれど、アイデンティティとしてとりたてて主張すべきものもないので、とりあえず通りの良い名前を出してみた、という感じが美しいです(「トランスジェンダー」派の方は別の考えでしょうが)。
 というか、そもそも職業ニューハーフという存在がカッコイイです。
 少なくともわたしの知人の範囲では、職業ニューハーフ経験者の方が、純粋培養トランス・GIDより清廉かつ強靭で、人間的に尊敬できる確率が高いです。
 最近でこそトランスの社会的選択肢は広がりましたが、ほんの十年前でも「地方のMtFが人生を変えべく東京に出てきてニューハーフ」というストーリーはかなり王道だったと思います。わずか五年前ですら、今とは状況が違いました。
 こんな選択肢が幅をきかせてしまっていたこと自体問題ですが、そこに文句を言うまでに飛び出した人々は本当に勇敢です。一般的なこととして、状況に問題があるとき、その状況を「改善する」などと大上段に構える人間より、とりあえず状況に参加しながら、一つずつ弾を打ち返していく人の方が、人格的に尊敬できる場合が多いでしょう。あくまで傾向としてですが、職業ニューハーフという人種にはそういう「捨て身の挑戦者」的要素が大きかったように思います。
 人前では強がって明るく振舞っていても、ふとした瞬間に哀愁の仄見えるハードボイルドな生き様。まぁ、現実の職業ニューハーフはそんなカッコイイ方ばかりではないでしょうが、少なくともわたしは、「トランスジェンダー」とか「GID」といった単語よりはかなり好感を持っています。
 ちなみに「わたし用語」で「ニューハーフ・ハイ」と呼んでいる状態があります。
 トランスつながり同士の飲み会などで、トランスバカ話で異様に盛り上がっている状態などを指します。またトランスであることに開き直ってオカマネタなどをスパークさせているときも「ニューハーフ・ハイ」です。
 日常であまり経験できないからかもしれませんが、非常に非常にハッピーな時間の過ごし方です。
 別段わたしも、狭い意味での「ニューハーフ」や「オカマ」にアイデンティティをもっているわけではありません。
 またネイティヴからそういう呼ばれ方をしたら、かなり不愉快だと思います。
 でもですね、ネイティヴにもなりきれず、素性も明かせず、な毎日を暮らしていると、トランスであること自体でバカみたいに盛り上がれる時間が欲しくもなるのですよ。
 これはネイティヴの女が女だけの飲み会で「あの部長がさぁ〜」「で、そのバカ男がねぇ〜」などとギャハハ話で盛り上がるの似ている気がします。彼女たちも、それが本性のすべてで、本気で部長や「バカ男」くんの全人間性を否定しているわけではないでしょう。翌日になれば、折り目正しい会社員として再び職務に戻るのです。
 残念ながら今のわたしは似た立場でかつ気のおけない仲、という友達が近くにおらず、なかなか「ギャハハ話」の機会が持てません。それだけに、たまに数少ないトランス友達と遊ぶときには弾けまくりです(笑)。
 できたら年に数回くらい、イベントでニューハーフとかやらせて欲しいんですけどねぇ。そんな素人いらないでしょうけれど(笑)。誰か一緒に企画します? 学園祭くらいのノリで、ビール500円のニューハーフバーとかやりましょうよ(笑)。
 で、この「ニューハーフ」ですが、先日正に「ニューハーフ・ハイ」的にトランス友達と遊んでいたとき、ふと思いついて投げてみた質問があります。
「道であった人に突然『ニューハーフの方ですか?』ってきかれたら、なんて答える?」
 その子は「『え、まぁ、そうですねぇ』って言いますかねぇ」といった返事でした。わたしも多分そんな感じではないかと思います。
 質問を投げた人の想定する意味では確かに「ニューハーフ」かもしれませんが、職業名という狭義で考えると妥当しないわけですし、なかなかこの問いはフクザツなのです。そもそも、軽々しく使ったら本物の職業ニューハーフの方に失礼でしょう。上の彼女も同じ考えでした。
 そう思うと、確かにカッコイイ「ニューハーフ」ですが、ワタクシなどが軽く使うのはちょっと考え物です。
 「元ニューハーフ」くらいにすると丁度でしょうか。その子もわたしも、確かに「元ニューハーフ」です。
 過激派の活動家が捕まったときに、職業名が「元早大生」とか出ているみたいで、ちょっと面白いですね。「それは職業じゃないでしょう」というか(笑)。
 もう少しヒネって「フリーのニューハーフ」というのも思いついたのですが、今ひとつ冴えません。
 第一に、「フリーのニューハーフ」というのは現実に存在するでしょう。例えばお店に所属していないニューハーフの風俗嬢などは、「フリーのニューハーフ」と言えると思います。現実に存在する方の職業名を横取りするのは気がひけます。
 第二に、この「フリー」というのがカッコワルイです。
 日本語の「フリー」は、本来良くないものを無理やりポジティヴに読み替えるときに苦し紛れでよく使われる単語です。「フリーター」が最たるものですが、恋愛的に「フリー」とか言うのも、要するに彼氏がいないだけですし(笑)、こんな中途半端な飾り方をするなら「無職です!」とか言った方が侠気があって色っぽいと思います。
 「元」も「フリー」も使いにくいニューハーフ、ヤケクソになって「流し」をプリフィックスしてみました。
 「流しのニューハーフ」。
 カッコイイです。
 場末のスナック渡り歩いて「ニューハーフいらないですか〜アリアリですよ〜」みたいな。
 さらにやさぐれて「野良」まで行ってみました。
 「野良ニューハーフ」。
 ノラですよノラ。首輪取れちゃってますよ。
 脱走ですよ。ジェンキンスですよ。
 でもこのイメージは好きです。
 ただの思いつきですが、結構気に入りました。
 元々人工物的に囲い込まれていたものが野生化し、本来種の脅威となるまでに繁殖、なイメージです。いや「繁殖」はしたくてもできないんですけれど(笑)、人工性が実体化することで「自然」イメージ(なる人工物)を再描画していく感じがリアルで美しいです。
 そう思うとニューハーフとブラックバスはちょっと似ていますね。
 「琵琶湖の青粉なんて目ちゃうわ。フナやらコイやらがナンボのもんやねん。釣り人かかってこい」な意気込みです。
 エコなサヨクが外来種云々言っても、ブラックバスを望んだ貪欲なフライフィッシャー、経緯はおいてとにかく今生きているブラックバスのリアリティがこそが一番重要でしょう。
 「外来種」という意味では、ブラックバスは「Legal Alienとしてのトランス」「ネイティヴではないものとしてのトランス」にもかぶります。
 ブラックバスだって、琵琶湖が「本来」の生息地でないことくらいはなんとなくわかります。永遠に「ここが故郷」になることはないでしょう。
 ですが、とにかく今ここで生きているリアリティについては、一点も譲れるところなどありません。どこが故郷だろうが誰がネイティヴだろうが、わたしたちの「現住所」は「ここ」なのです。
 琵琶湖を制するところでは「土着種」以上にやってのけますし、その「以上」っぷりが「人工的」「うそ臭い」ものだったとしても、それがわたしたちの精一杯なのですから仕方ありません。少しでもナチュラルでありたいとは思いますが、おそらくその「自然さ」のきわみとは、自然な「女らしさ」「男らしさ」などといった形容矛盾ではなく、ただ「自分らしい」というところにしか至らないでしょう。
 ハイ、わたし野良ニューハーフです。
 昔は水族館にいましたが、今は琵琶湖です。
 ここは最低の湖です。青子と赤潮で窒息しそうです。
 だけどカナダかどこかの「本来の場所」なんて帰り方もわかりませんし、そんな「本来」なんて最初からなかったんじゃないかと思います。
 水族館だって本当にあったのかどうか怪しいくらいです。
 わたしたちは最初から野良でしかないのに、合法性に根拠を与える方策として、水族館という作り物のゲットーに「守って」もらっていたのかもしれません。
 というのも、野良は「飼い主がいない」と意味で「自由」ではありますが、別段自由と引き換えに非合法化されたわけではないからです。
 野良もまたうんざりするほど「合法」で、ただ合法性の根拠が見えないだけです。
 本当に恐ろしいのは、非合法化さえることではなく、法の関心を得られないことです。
 そしてわたしたちのほとんどが、もとより裁きの「眼中にない」のであり、野良ニューハーフのサバイバルとは、この圧倒的な父の無関心という(多くの人が慣れきっているものに)日々向き合う苦行を自らに課すことのように思います。
『押井守』KAWADE夢ムック 『押井守』KAWADE夢ムック 河出書房新社
「ガイノイド・ニューハーフ・素子の去った後」という試論を寄稿しています。是非参照してみてください。
関連記事:
「クウェンティン・クリスプと”Legal Alien” –“Englishman In New York” Sting」
「トランスセクシュアルと外国人–Legal Alienをめぐって」

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