ここのところ日銭稼ぎばかり考えていて、もう少し長いスパンでは作品のことを考えていて、さらに一年くらいだとトランスと労働に振り回されていて、すっかり忘れています。ラブ&スキンシップ。
先日雛乃さんとお話した時に結構ラブ話題になって「うわああぁ忘れてるっ!」と焦りました。
ラブはドリブルみたいです。ドリブルしたことはありますし、やり方も一応知っているのですが、長らくしていなくて、する可能性すら忘れていて、下手をするともう一生しないかもしれない、そんな意外ポイントです。ガンダムに乗ってバルカンばかり撃って、素手でザク5機くらい倒してから「あ、ビームサーベルもあるんじゃん!」って思い出す感じです。乗ったことないので違うかもしれませんが。
もちろん多少「この人いいかも」とかはあるのですが、「トランスのモテについて」で書いたような疑心暗鬼的なものやらに囚われているうちに、うやむやになってしまいます。押されればその気になるのかもしれませんが、誰も押してくれないので、自分で考え込んでいる間に終わってしまうのです。
そんなわたしが「うぉっ!」と積極的な気分になるのが、トランス相手の時です。ストライクゾーンの狭すぎる「同性愛」です。
よく「バイの同性愛は軽い」と言いますが、その同性愛の対象がわたしの場合トランスのようです。「軽い」と言うと聞こえが悪いですが、社会化されきったナルシシズム的家族臭さに毒されていないだけ、純粋なエロティシズムがあります。
男相手の時はエロいというよりぽわーんと心地良いものに酔っている感じなのですが、美形トランスを見ると、なんというか、オヤジ的な熱さを感じるのです。まったりするのも良いですが、熱さにこそ恋愛の核がある気がしないでもありません。「本気じゃない」ゆえの熱さというのが間違いなく存在します。そこにはまた別の「本気さ」があるのです。
自分が「トランスだから」という理由で評価されることにはめちゃくちゃナーバスなくせに、他人に対しては実に無神経です。ネイティヴ女子に対してはこの感覚はないのですから、理屈から言って相手のスタンスを踏み倒しています。世の中には「トランス好き」という珍味コレクターのような殿方が存在するのですが、結構その気持ちがわかります。エロには、どこか理屈を押し倒して強姦するようなところがあります。
トランスなら理解できるんじゃないか、という気がして雛乃さんに聞いてみたのですが、全然通じませんでした。単にわたしが変態の中の変態らしいです。
オチがないのですが、最近友達運は良好でも男運は相変わらずなので、トランス同性愛にでも専心しましょうか。
八方塞がりから穴を掘って脱出しようとして、穴に埋もれる感じです。
『一人ひとりの性を大切にして生きる?インターセックス、性同一性障害、同性愛、性暴力への視点』針間克己 1,365 円