くたばれジェンダーフリー

 凶悪なタイトルですが、最後まで読んで下さい。
 感激しました。
 わたしが最近注目している蜜柑さんが、エントリ一つ使ってishを紹介してくれていたのです。発見した時、テレビに自分が映ったかのように驚きました。
 蜜柑さん、本当にありがとうございます。
 「自虐的」ていう点を御指摘頂き、尤もだと思いました。正直、ここのところあまり調子が良くなく、余りにも卑屈なオーラを出し過ぎていました。反省です。
 でも実は、今日は結構元気です。
 まったくの偶然なのですが、昨日某女史とトランス関係についてお話する機会があり、そこで素晴らしいテクストを部分的にコピーさせて頂き、今、脳がめちゃくちゃ活動しています。読むべき文献、書くべき素材を与えられ、たったそれだけで復活です。単細胞かつ激しく情緒不安定でお恥ずかしいです。
 ただ一つ言い訳をすれば、過去に別の人などから「卑屈」と指摘された事柄で、自分としてはポジティヴな意味で言っているものも結構あるのです。「いやぁ、人間辞めましたから」などと冗談めかして語っている時も、デスラー気分で地球人どもを見下しています。「フェイク」という表現も、「女装の男よりは不完全な女」という前向きの気持ちで使っていますし(女装者自体についてはセンスさえ良ければかなり好きです)、そもそも精巧なフェイクは「本物」なる幻想より遥かに美しいものです。卑屈なようで、実は尊大なだけなのです。
 ちなみに「パス」も「うっかりネイティヴどもと間違えられる」と解釈すると、ノンパスの方が偉い気すらしてきます。各人で得する方の認識をチョイスすると良いと思います。
 そんなわけで、トランスネタを書きます。
 いきなりトゲトゲしくて恐縮なのですが、わたしは「ジェンダーフリー」という言葉がかなり嫌いです。

 この語が正確に何を指しているのかは意見のわかれるところでしょうが、とりあえずは「男/女という枠組みを超えて多様なジェンダー・セクシュアリティを認める世の中を良しとする」といったものと考えてみます。
 そんな御時世であれば色々楽だろうとは思います。
 ですがまず第一に、トランスが「性別を変更する」ものであれ「本来の性別を回復する」ものであれ、ここで考えられている性別とは、一般社会以上に男/女の枠組みに捉えられているものです。「男/女で考えるから窮屈なのだ」などと言いつつ、実は当事者ほど男/女に拘泥している人間はいないのです。トランスが男/女に回収しきれないものであるにせよ、その出発点となった回路は紛れもなく二分的な性構造にあるのです。
 「世の中が男/女だから仕方ない」という向きもあるかもしれませんが、そう単純ではありません。「男子かくあるべし」というジェンダー像が変化することはあるでしょうが、重要なのは男/女の間にある「/」です。つまり分節構造自体、そこに一本の線が引かれることがことの核心であり、社会的なコードの問題ではないのです。ですから、当事者がこの線を巡る迷宮に捉えられてしまっている事態を、社会状況に還元して理解することはできません。もちろん、実際上の経緯は社会や環境と多いに関係するのは当然のことですが。
 そしてこの「/」を巡って超えるtransというスタンスからしかアプローチできなかった以上、せっかくのジェンダーがフリーになってしまっては元も子もありません。トランスという「バカ騒ぎ」は、「/」から出発してある種の余剰を生成するものです。余剰というのは、結果的に社会的ジェンダーとは齟齬をきたすセクシャリティが剥き出しになる、ということです。「男/女から始まったと思ったら、なんだか変テコなものが出てきちゃったぞ」ということです。その結果の部分だけを見て、社会的コードに遠因を求める「ジェンダーフリー」という還元論が、筋違いの発送人に問い合わせしてしまっているのは明白でしょう。
 ただし「社会的ジェンダーではなく『真の原因』をつきとめ解決する」などという脳天気な話をしているのではありません。「変テコなものが出てきちゃったぞ」という場所から遡及的に求められる原因という臍、それを巡って歩き回ることが大切なのでうす。わたしたちは「できちゃった結婚」で「できちゃったその子供」です。陳列すべき適切な台がないからといって、台のせいにするのは一つの防衛的症候にすぎません(社会適応としては上出来ですが)。
 「変テコなもの」の新しい使い道を考案する、つまり欲望を創造する、というのも一つの美しい道です。ですが結局のところ、「なんなんだこの変テコなものは!」というわけのわからなさだけが真実なのであり、これを全的に生き切ることでしか「変テコ」の「変テコ」ぶりを蕩尽することはできないのです。わたしたちは、吹き出した原油をそのまま燃やすようなグロテスクな物質性と対峙しなければなりません。最終的には、「/」から出発したこの「バカ騒ぎ」を、いかなる犠牲も超えた象徴的自殺として引き受けることがトランスの倫理的義務である、と明言しておきます。
 第二に、トランスという問題に限局して、当事者ではない外野が「ジェンダーフリー」を語るなど、ちゃんちゃらおかしいとしか言いようがありません。
 理想の社会がどうであれ、とにかく世の中は男/女でできているのです。そんなに深い話をしているわけではありません。履歴書には丸をつける欄があり、トイレは二種類しかないのです。実にどうでもよくバカバカしい話ですが、とにかくわたしたちは今日も電車に乗って会社に行くのであって、お題目を唱えて世の中が変わってくれるのを待っている余裕などありません。
 「男とか女とか、どうでもいいじゃないか」というお優しい方がいらっしゃいます。皮肉ではなく「イイ人」だと思うのですが、そういう人は試しに明日から化粧をしてスカートで会社に行ってみて下さい。ネイティヴ女子の方なら、身近なオッサンが突然女装して会社に来ることを想像してみて下さい。それを何の不自然もなく通せて、なおかつ正常な精神をキープすることが、最低ラインのハードルです。これも越えられないような人間が「どうでもいいじゃないか」などと安全圏でリベラルぶっても、何の説得力もないばかりか、ただ単に「わたしは進歩的精神の持ち主ですよ」という聞きたくもないご報告を一方的に押し付けられているようにしか見えません。
 と、いきなり蜜柑さんと意見が食い違いそうなことをぶちまけてしまって心が痛いのですが、問題提起として活用して頂ければ幸いです。
 GIDという操作概念(!)自体が既にそうなのですが、社会的方便としての有効性と、純理論的な探究の上での価値というのは異なります。「ジェンダーフリー」も方便としては結構です。ただ、真に美しい語らいを開こうとするなら、とてもではありませんが真面目に取り合うことのできる代物ではありません。
 一方で、世間の人間の多くが、そんな語らいを理解できないというのも事実ですから(理解する必要もない)、対外的にはジェンダーフリーでもGIDでも、必要ならどんどん振り回したら良いと思います。わたしもガンガン使っています。
 本当はこの手の話にはキチンと言葉を尽くしたいですし、実は撃てる弾も既にあるのですが、商品化が停滞ぎみになっているのが現状です。
 『押井守』KAWADE夢ムックでは「とっつきにくいが美しい」方を撃ちましたが、「撃てる弾」というのは「世間向け」のぶっちゃけ話です。少なくともこのブログよりは遥かにサービスが良いので、興味のある出版者の方は御連絡下さい(笑)。
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