『心に性別はあるのか?』中村美亜

 以前にワークショップでお世話になった中村美亜さんの著書です。
性的マイノリティの基礎知識 『心に性別はあるのか?―性同一性障害のよりよい理解とケアのために』 中村美亜 医療文化社 2,520円
 ここのところすっかり平凡に仕事に追われる暮らしになっていて、ジェンダー・セクシュアリティがらみと疎遠になっていたのですが、久々にこの手の本を読みました。反応遅すぎてすいません。
 この「すっかり疎遠」というあたりに、既にわたしと美亜さんの共通意識と相違点が表れている気がします。
 以前彼女とお話したとき、「ある時期が過ぎてしまうと、『このこと』が特にプラスにもマイナスにもならない」といった話題になりました。確か「別に差別されることもないし、困っていることもない。むしろ目立てなくてちょっと寂しいくらい」といった発言があったように思います(不正確な表現ですいません、違うかもしれません)。
 よく「性同一性障害」の人たちが訴えるような特別なマイナスなどない、という点ではわたしも同意見です。
 正確に言えば、マイナスはあります(プラスも多分、ありますが)。
 カムして生活していたころには色々イヤな思いもしましたし、就労上不利をこうむったこともあります。
 ですが、その程度の不利益であれば世間一般の方々もおおかれ少なかれ何か持っているもので、わたしたちにとってはたまたま「それ」だった、ということでしょう。
 社会的差別や謂れのない偏見という点については是正していく必要があるでしょうが、「何か困ることを抱えている」という意味では誰でもなにかあるもので、身体の障害から親の借金、学歴コンプレクスから彼氏がリストラで鬱、一つは持っているのが「普通の人」です。何もなかったら暇で仕方ありません。
 わたし個人としては、とにかく「このこと」の解決というのは、「このこと」を考えなくなることだと思っています。
 「このこと」というのは、しょうもない悩みとしての「性同一性障害」とやらです。
 わたしにとってジェンダー・セクシュアリティとは、表層の問題から切り離して思考するための道具であり、娯楽でしかありません。社会的側面でそんなことに関わるのはまっぴらですし、そもそも「ジェンダー」などという言葉も鬱陶しいです。お金にもなりませんし(笑)。
 現在の生活はおかげさまでほとんどそんなことを考えないで済むようになり、大変助かっています。
 美亜さんとの相違点として感じるのは、わたしとしては徹底的に無縁になりたいので、身体も戸籍も「同化」したい、ということでしょうか。
 ことわっておきますが「同化」すればネイティヴのオンナになれる、と思っているわけではまったくありません。そのことは何度も何度も書きました。
 周囲のすべてが疑いすらさしはさまなかったとしても、少なくとも自分は過去を知っているわけですし、容姿・身体・生活習慣などがかなり同化できても、やはり何かが違います。
 このことは美亜さんも「身体がなおせても育った環境が違う」といった形で指摘されています。
 わたしも日々感じることです。こんなにガンダムに詳しいオンナもあまりいませんから(笑)。
 しかしそれと戸籍上の性別等の問題はまったく別で、不便なものは不便ですから、ジェンダーなどというアホなものに振り回されないためにも都合の良いように設定しておきたい、と考えています。社会的性別などその程度です。役所の書類のどこにマルがあるかで仕事探しや部屋探しのたびにネタをやるのは疲れますから。
 話がズレてしまいましたが、『心に性別はあるのか?』、当事者手記でも徒にトランスジェンダリズムを叫ぶのでもない、バランスの取れた良書です。
 当事者インタビューとその分析、というタイトな論文形式をとっていて、このことに詳しくない人でも安心して読み進められます。日本における当事者のリアリティを「門外漢」にもわかりやすく伝え、なおかつただ実態を垂れ流すのではなく、適切な分析を加えている、という意味で抜きん出たものがあるでしょう。
 考えてみれば、翻訳させていただいた 『セックス・チェンジズ』のパトリック・カリフィアと出会ったのも、彼女の論文でした。つくづくお世話になっております。
 彼女は以前から「ジェンダー・クリエイティヴ」ということを言っていて、本書末尾でもわかりやすくまとめられています。
心に性別はあるのか?と問われれば、答えは「ノー」である。より丁寧に回答するとすれば、「心”に”性別があるのではなく、心”が”性別を生み出す」ということになる。
 また「アイデンティティとは『そこにあるもの』ではなく、文化的構築物であり、日々自分で作り出していくもの」「多くの日本人にはそもそもジェンダー・アイデンティティなどない」と指摘し、「心と身体の不一致」といった旧来のモデルを批判されています。 まったく同感で、いい加減「アイデンティティ」などという能天気な言葉を使うのは勘弁して欲しい、というのがわたしの本音なのですが、一方で正に「ジェンダー・アイデンティティ・ディスオーダー」と言うにふさわしいある時期が多くの当事者を襲うのも事実です。ただしそれは「心と性別の不一致」というより、おそらくは「何かの違和感」を「心と性別の不一致」として具体的に表現し、その解消を目指すことで違和感そのものとの対峙・解決をはかるものです。
 より正確には、「何かの違和感」が根本的に解消されるというより、ある時気付いてしまった自らの存在そのものに関わるような「決定的な欠落感」「居場所のなさというよりは自分の無さ」から身を守るべく症候を形成し、その症候の解決を通じて「無い感じ」を「無い」に変えていく営みでしょう。
 おそらくそこで「無い」と感じたものは、単に無いのです。重要なのは、それまで「無いものが無い」と感じていたことに気付いていなかったことです。この「すぐ横にあった虚無」を発見し慌て、そこから立ち直り、「無くて当たり前」になるまでの過程が、この「ディスオーダー」の核心にあるように思います。
 ことわっておきますが、これはホルモン治療や性別適合手術といった従来の「治療」を否定するのではまったくなく、むしろこのような具体的手法を用いることで、正体のつかめない「無さ」との共存をはかれるという意味で、その有効性を高く評価するものです。 ただこうやって「仕組み」を考えすぎてしまうと、一人の寄る辺ない当事者としてはせっかくうまくいきかけているものが何もかもオジャンになってしまいそうな不安にもかられます。
 あえて「ジェンダー」なものを避ける暮らしをしているのもそういう事情で、もう少し自分自身が落ち着いたら獣とも戯れてみたいとは思うのですが、今戦うと普通に食べられてしまいそうなので、本の紹介もこんな中途半端でまとまりのないもので逃げさせていただきます(笑)。
 本当に「渦中」にいてしんどいさかりの当事者は、何も考えずに読んでOKです。必ず得るものがあると思います。
(「アイデンティティ」については言っておくべきことがあるので、近いうちにまとめます)

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