『セックス・チェンジズ ートランスジェンダーの政治学』パトリック・カリフィア

20472.jpg『セックス・チェンジズ』 パトリック・カリフィア他 作品社 3,780円
 ただトランスセクシュアリティのみならず、ジェンダー/セクシュアリティに少しでも関心のある方には必ず読んで頂きたい本です。
 著者カリフィアはポルノやセックス・ワークを擁護し闘うレズビアンSMフェミニストとして、著名なアクティヴィストであり、理論家、レズビアンSM作家です。一九五四年、テキサス州コーパスクリスティに生まれ、大学一年の時にレズビアン・フェミニストとしてカムアウトし、アマゾネスの女王カリフィアにちなみ姓をカリフィアとしました。八〇年代以降、激化する反ポルノ運動に対して、女性が自らのセクシュアリティを口にすることを一層困難にし、伝統的女性観を温存することにつながるとして批判。先ごろ亡くなったのアンドレ・ドウォーキンやマッキノンたちと、反検閲主義・ポルノ擁護の立場で論争をくり広げました。
 本書『セックス・チェンジズ』第一版(一九九七年)を執筆した時点では、パット(Pat)・カリフィアの名前でレズビアンの立場を取っていたが、性別適合手術を受け、本書第二版(二〇〇三年)では、パトリック・カリフィアと著者名を変え、FTMトランスセクシュアルの立場を取るに至りました。『セックス・チェンジズ』は第一版と第二版の間に著者の性別が変わる、という、それだけでも十分センセーショナルな本です。
 しかし間違っても「性転換」の話題性だけで成り立つ作品ではありません。これほどまでに網羅的にトランスセクシュアリティについて扱い、しかもいずれの立場に対しても公平に批判を加えることを忘れない書は他に見当たりません。当事者、医療者、フェミニズムとの関係、レズビアン/ゲイ・スタディーズとの関係。そして当事者内にある「同化主義」と「第三極としてのトランスジェンダー派」の相克。これらについて、まったく偏りなくとはいかないが、少なくとも取りこぼすことなく触れている点で、類書の追随を許さないものがあります。
 また時に皮肉っぽく、時に情感あふれるスタイルは実に「読ませる」もので、この分野の予備知識がない者でも知らず知らずに引き込まれてしまう魅力があります。読み進めるうちに、怒り、そして悲しみに熱くなることは一度や二度ではないでしょう。
 個人的にとりわけ惹かれたのは、トランスセクシュアルに対してヒステリックな攻撃を加えたフェミニスト、ジャニス・レイモンドを巡る下りです。当然ながらカリフィアはレイモンドを激しく批判するのですが、この章の末尾で、彼は自身の体験を振り返って語り出します。
 レズビアン分離主義者だった若かりし頃のカリフィアは、当時正にレイモンドと同じことを考えていたのです。その頃のレズビアン・コミュニティではMtFトランスセクシュアル排斥の嵐が吹き荒れ、彼女(当時)もそれに同調していました。しかし尊敬していたレズビアンの先輩がこの動きに疑問を唱え、カリフィアも徐々に懐疑的になっていきます。
 そしてレイモンドの書を手に取ったカリフィアはこう思うのです。「そこに書いてあったことは、一言一句自分の考えていたことと一緒だった。しかしこうして活字になっているのを見ると、どうしても劣悪なものにしか思えなかった」。そして遂に助けを求めてやってきたMtFがコミュニティから叩きだされる現場に居合わせ、問いの答えを求めて他のコミュニティを訪ねるに至るのです。
 カリフィアの素晴らしいところは、安全圏から口先だけの批判をするのではなく、常に状況の渦中に身を置き、走りながら語るところです。堅実なレファレンスに基づいた研究書的記述が続いたかと思うと、突然個人史を振り返ります。しかも決して不自然ではなく、必然のように個人的エピソードと歴史的・科学的・法的記述が絡み合って行くのです。読者もまた、読み進めるうちに他人事気分ではいられなくなります。
 実は翻訳に関わっています。
 最初にこの本を読んだ時は、まさか自分が訳を手がけることになるとも思わず、満員電車の中で少しずつ読み進めました。そうまでして読み進めずにいられない魔力があったのです。
 翻訳の至らなさについてはいかに弁解しても足りないものがありますが、この本だけは何はともあれ手にとって頂きたいです。
 よろしくお願い致します。

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