恐れを知らぬ女たち

(このテクストは当初、「〈女〉を巡って」および「真夜中のトランス」の前座的ポジションとして、トランス問題についてかなり茶化した調子で語るために用意されたものです。相当バイアスのかかった内容で、ほぼMtFのみを話題にしており、また筆者の主眼自体上のテクストにあったのですが、一つのものの見方として試みに公開してみるものです。なお、筆者は現在の性同一性「障害」治療を全面的に是としているわけではありませんが、これを否定したり先人の労苦を軽んじようとする意図はまったくなく、実際個人的には多いにお世話になっていることを明記しておきます)
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 いささか辛辣な扱いをしてしまったトラニーチェイサーですが、こういう極少数の例を除くと、トランスというのは実にモテないものです。モテないというより、「恋愛の不自由な方」です。
 男性を恋愛対象とするTS/TGを考えると、ゲイの方は想定外です。トランスの意識は「同性愛者」とは異なりますし、「男」を求められては不快に感じる方が多いでしょう。ではヘテロならどうか、というと、身体が中途ですとこれも自由にはなりません。何より、一般男性にしてみれば、戸籍や染色体が男性であるだけでもなかなか対象にしにくいでしょう。
 日常生活では、カムしていない人には一定以上近付けませんし、カムしていれば気楽な関係ですがやはり恋愛は難しいです。あんまりモテないので出会い系などに参加しようにも、微妙に「嘘をつく」必要が生じてしまいます。思いあまってトランス系の出会いサイトなどを覗くと、これが末期的にエログロです。やってくるのは年齢・身長・体重と性的嗜好だけがかかれたメールばかりですし、ひどい時にはいきなり性器の写真が送りつけられることもあります。まともな神経の人間ならとても付き合いきれないでしょう。見事なまでに八方塞がりです。
 そんなトランスが比較的簡単に人気者になれるのが、皮肉にもネイティヴの女が相手の時です。これも人によりけりなので一概には言えませんが、カムしている場合、あるいはノンパスで容姿が優れている場合、「え、あの人男なの!?」などと職場の注目の的になることが少なくありません。一般に女性は、男性に比べると好奇心に対して率直な傾向があります。要するに珍しいもの好きなのです。もちろん、厚かましいトランスの場合は最初から毛嫌いされるでしょうが、これはトランスでなくても同じことですから、問題外としておきます。
 どんな形であれ、評価されることは良いことかもしれません。また、不馴れな空間に最初に溶け込もうとする時は、本当に助けられることもあるでしょうし、「ヴィジュアル系女装」であれば、この人気者状態を素直に楽しまれるでしょう。しかし、見た目の如何に関わらずトランスも色々です。いつまでも客寄せパンダのような扱いを受けていれば、辟易してくるのが道理というものです。
 少し容姿の優れたトランスなら「綺麗ねぇ、本当に男なの?」などという言葉を投げられることもあるでしょう。おそらく悪意も他意もないセリフで、むしろ誉めているつもりでしょうが、傷付く当事者も少なくありません。なぜなら、こんな言葉は「要するに男」「男としては綺麗」という認識から出たものでしかないからです。スタンスにもよりますが、「女として」の生活を目指しているトランスに対しては、とても残酷な仕打ちになるのです。
 しかも世間一般では、TSカルチャーで激しく峻別されるゲイとトランスの違いも認識されていません。これ自体は無理もないことですが、極少数ながら「ねぇ男が好きなの? 女が好きなの?」などと当然のようにセクシュアリティに踏み込んでくる人がいます。ひどい場合には「そういう人」は無条件に性的で、セックス好きか何かと勘違いしていることすらあります。もちろん、セックスの好きなトランスもいますが、それが当たり前のように認識したら誤解というより不躾に過ぎるというものです。
 この人たちは、普通の人間関係でも「男と女、どっちが好きなの?」などと平然と尋ねるのでしょうか。それとも「ニューハーフ」「オカマ」であれば、そんな質問も許されると思っているのでしょうか。
 確かに文字通り「ニューハーフ」であれば、引き受けてもくれるでしょう。しかしニューハーフとは職業です。お金で買うものです。無料で「オモロイオカマ」をやってもらえるほど、世の中は甘くありません。
 時々、ちやほやされることで「女の仲間入り」ができたかのように勘違いしているトランスを見受けますが、いささか滑稽な印象を拭えません。もしも単に「仲間」であれば、トランスがそれほど持ち上げられることがあるでしょうか。「外れ者」だからこそ注目されるのです。
 またも辛辣な表現になってしまいましたが、当然ながら最終的には個人の問題でしかなく、「男だから」「女だから」というのは統計的な現象に過ぎません。逆に言えば、そのような統計的差異から「男/女」に割り振られた行動様式の違いを垣間見ることができます。
 一般には、「女装」「オカマ」というと、男の方がより嫌悪する傾向があります。「自分もそうかもしれない」という不安に対する心理的防衛でしょう。しかし、性的に深い存在としてとらえているということは、良くも悪くも一歩引いて見られる、容易に触れ難い存在とみなされる、ということです。少なくとも「昼間」の世界に限っては、男の方が女より謹み深いのです。懇意になりにくい、というデメリットはありますが、仕事上の付き合いなどでしたら、不必要に親密にならない分、むしろ物事がスムーズに流れるでしょう。
 また個人的な経験では、こちらの「覚悟」が一定以上伝わった時、より味方になってくれたのは男の方でした。彼らが理解してくれたというわけではありませんし、その必要もありません。ただ「なんだかよくわからないけれど、こいつは本気だ」と認めて貰えた時、そんな「侠気」に対し一応のリスペクトを捧げる文化が男社会にはあります。
 これに対し、女社会は一般に敷居が低くできています。最終的な壁は男性より厚いくらいなのですが、とりあえずある程度のところまで「仲良し」になる入り込みやすさがあります。女社会は、基本的になるべく差異を平坦化しようとするものです。皮肉な言い方をすれば、「仲良し」「みんな一緒」らしく振る舞っておくことが女社会の見えない掟です。ジェンダー/セクシュアリティに関しても、男性よりは「男/女」を峻別する思考が緩い傾向があります。寛容であるとも言えますが、時にこの親しみやすさが、気安さという形で悪く作用してしまうことがあるのです。
 また一般に「群れたがる」傾向が女の方が強く、人は集団になると途端に図々しくなるものですから、勢い女から信じられないような質問を投げ付けられることも多くなるのかもしれません。
 よく「理解ある社会を」と訴える当事者がいます。しかし本当に「理解」が大切なのでしょうか。そもそも人のことなどそう簡単に理解できるものではありません。別段トランスに限らず、わからないのが普通なのです。「原則として理解不可能」という前提で接するからこそ、釣り合いの取れた人間関係も築けるというものです。気安さは「わからないのが普通」という留保を時に押し崩してしまうことがあります。もちろん、性別の移行という形で社会における位置取りが変化していくトランスの側にとっても、「新しい環境」は理解できないことの連続でしょう。
 もしも「理解」が必要だとしたら、それは「理解できない」ということを理解することではないでしょうか。

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