女装者こそ男の中の男

(このテクストは当初、「〈女〉を巡って」および「真夜中のトランス」の前座的ポジションとして、トランス問題についてかなり茶化した調子で語るために用意されたものです。相当バイアスのかかった内容で、ほぼMtFのみを話題にしており、また筆者の主眼自体上のテクストにあったのですが、一つのものの見方として試みに公開してみるものです。なお、筆者は現在の性同一性「障害」治療を全面的に是としているわけではありませんが、これを否定したり先人の労苦を軽んじようとする意図はまったくなく、実際個人的には多いにお世話になっていることを明記しておきます)
##
 おおざっぱに女装カルチャーと呼んでみましたが、この世界はGID業界やニューハーフ業界以上に一般社会から隔絶しているためか、実にヴァラエティに富んだ人たちがいらっしゃいます。職業ニューハーフにも「中身丸っきり男」からGID治療下にある方までいますが、女装は更に幅が広いのです。「病気」でも「仕事」でもない世界ですから、ある意味やりたい放題です。美醜もピンからキリまでで、色々な意味で「人も振り返る」方々のオンパレードです。お店の人間も普段は男として暮らしていているアルバイトが主流のため、接客業には素人の場合が多く、良くも悪くも学園祭ノリのようなところがあります。
 スタンスも実に多様です。「できれば女性としての生活を手にしたい」と思っているかなりTS寄りの女装者もいますし、反対に割り切って遊びとして女装をしている人もいます。女装をして性的興奮を覚える方もいますし、まったくない人もいます。ファッションの延長としてヴィジュアル系のようなノリで女装している人もいれば、性的なギミックとして女装を求めている方もいます。純粋に美しさを追求している人もいます。どう見ても女にしか見えない人もいれば、単にオジサンがカツラをかぶってメイクしただけ、という方もいます。更にカツラも化粧もナシで男の格好のまま下着だけ女物、という「下着女装」なる分野すらあります。
 ちなみに女装業界の面白いところの一つは、見た目の完成度がアイデンティティと必ずしも一致していない点です。普段は普通の男として会社員をやっていて「いやぁ、わたしなんてただの女装ですよ」と言い切っている方でも、「一体どうやったらこれで男として仕事しているんだろう」というくらい女にしか見えない人がいます。一方で「女の子になりたいの」とメソメソしているヒゲヅラのオジサンがいたりします。
 恋愛対象も様々です。TSであっても男性が恋愛対象とは限らないのですが、女装となると更に色々です。「男性が好き」「女性が好き」という人はもちろん、男の時は女、女の時は男を求めるというコウモリのような方もいます。「昔は女が好きだったけれど、今は男のみ」という人もいます。また「同じトランスにしか興味を持たない」というストライクゾーンの狭すぎる人も実は少なくありません。「レベルの高い女装者に憧れて自分も女装し始めた」という人は結構多く、そういう人は同じトランスを恋愛対象にしていることがままあるのです。ちなみに、女装者同士の性的プレイ行為は「カマレズ」と俗称されます。当人たちはレズビアン気分なのですが、中身は男同士、しかも男の中にあるレズビアンイメージをなぞっている、という代物です。
 ただ個人的に観察する限りでは、外見の水準が上がる程、性的な関心自体が薄い人が多いように見受けられます。「女装」と簡単に言っても、元が男だったものが女に見られるというのは容易なことではありません。そこに多大なエネルギーを注ぎ込んでいれば、恋愛などにかまけている余裕がなくなるのも頷けます。要するにナルシストということですが、これは一般女性ともクロスオーバーするところがあるように思います。
 この世界にも、閉じた業界特有の業界用語が沢山あります。先ほど触れた「女装娘」という言葉ですが、読み方には「じょそうっこ」と「じょそこ」と二通りがあります。「女装子」と表記することもあります。「趣味女」(しゅみじょ)という言い方もあります。「趣味で女やっている」といったニュアンスのようです。
 下着だけ女装している「下着女装」と対置して、ちゃんと全部女装することを意味する「完全女装」、略して「完女」といいます。読み方は「かんじょ」です。
 男と女が紛らわしい業界なので、生まれながらの女のことを「純女」と呼びます。読み方は「じゅんめ」です。ネイティヴという言い方もあります。逆に女装スナックに遊びに来るけれど女装しない男のことを「純男」と言います。「すみお」と読みますが、「じゅんなん」「じゅんだん」と言う人もいます。
 女装とは、男の中の女イメージをトレースするもの、と言えます。プレイ派の女装者は「女の子気分」を味わっていると言いますが、その「女の子」たるや、実に貧困なオジサンの中のイメージをなぞったものにすぎません。当人が「女」をやっているつもりになればなるほど、ますます「男」を表現してしまう、という皮肉な現象がここにあります。
 もちろん、そんな貧しいケースばかりではありません。生まれた時から女であったとしか思えない人もいますし、非常に洗練されたセンスを備えた人もいます。純粋に技術として考えた時、その水準の高さは衆人の想像力を遥かに凌駕しています。「男の中の女像」にすぎないとしても、そのイメージの精緻であること、トレースの見事であることには、敬服を禁じ得ません。
 レベルの高い女装者となると、見た目でTSと区別することはできませんし、更にネイティヴとも識別できません。本人に尋ねてみなければスタンスもわからないのです。テレビに登場するニューハーフのイメージから「見た目は綺麗でも声は男」と思い込んでいる方がいらっしゃいますが、実は声すら訓練次第でかなりの領域までネイティヴに近付けることができます。経験の範囲内でもまったく女の声にしか聞こえない方が沢山いらっしゃいましたし、筆者自身ボイストレーニングを受けてテレホンアポインターとして仕事をしていました。そもそも完全に女性として暮らそうとしているトランスであれば、声が男のままでは生活していけません。また、危険を伴いますが声を変える手術というものもあります。女装であろうがTSであろうが、技術を極めれば芸術的領域にも到達できるのです。
 そのようなハイレベルな女装者を「男でありながら女の容姿を手に入れた者」と考えると、面白い事実が見えてきます。
 男という生き物は、自らの脳に映った女性像を永遠に追い求める一面があります。幻想の世界に閉じこもっているオタク的な人物だけでなく、極常識的な男性であっても、必ず何らかの女性ファンタジーを備えています。
 恋愛というのは、ヘテロセクシュアルの場合、男と女という二人の人間の関係でもありますが、同時にそれぞれの中の異性イメージとの戯れでもあります。更に言えば、そのイメージと戯れている自己イメージで遊ぶことでもあります。数えられる生き物としては二人の人間がいるだけであっても、男の中の「幻想の女の子」、女の中の「愛されている自分」などが複雑にエロチックに絡み合っているのです。
 ただし両性の関係は均衡ではありません。対象イメージとしての重さは圧倒的に女に置かれています。「モノに対する投資」としては、女は女に、そして男は女に多くを投じるものです。この点を鑑みると、男という生き物は、額に汗して労働し、得た金品や名誉を女に貢ぎ続ける少し可哀相な一面があると言えます。
 この点女装者は、自ら理想イメージを体現しているのです。結局のところ他に依存せざるを得ない一般の男と比べて、なんと潔いことでしょうか。
 またネイティヴの女と比べても、女装者の輝けるところが注目されます。当然ながら、ネイティヴと言えど寝転がってテレビを見ていて「イイ女」になれるわけがありません。水面下での努力には並々ならぬものがあるでしょう。しかし女装となると、何せ元は男だったのですから、見えないところでの努力たるやネイティヴの比ではありません。まずは「女に見える」というところから始めなければいけません。女装者は大変な努力家なのです。加えて、ほとんどの人が少なくとも人生の一時期を男として過ごしているわけですから、男性心理について知悉するところではネイティヴの遠く及ぶところではありません。
 女装者こそ「男の中の男」です。人生の多くを割き、時に身体を切り刻んででもイメージを形にする、命がけの彫刻家です。なんて「男らしい」のでしょうか。
 ある自称「女装者」が、面白いことを言っていました。
「どうせ女装するなら徹底的にやりたい。『ミニスカートで颯爽と歩く男らしさ』ですよ」。
 「女装にかける男の心意気」です。そこらへんの軟弱男ではとてもかないません。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする