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潜伏と世捨て人

潜伏と世捨て人

(このテクストは当初、「〈女〉を巡って」および「真夜中のトランス」の前座的ポジションとして、トランス問題についてかなり茶化した調子で語るために用意されたものです。相当バイアスのかかった内容で、ほぼMtFのみを話題にしており、また筆者の主眼自体上のテクストにあったのですが、一つのものの見方として試みに公開してみるものです。なお、筆者は現在の性同一性「障害」治療を全面的に是としているわけではありませんが、これを否定したり先人の労苦を軽んじようとする意図はまったくなく、実際個人的には多いにお世話になっていることを明記しておきます)
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 TSの中には、潜伏、つまり戸籍上の性別を周囲に悟られずに就労している方がいらっしゃいます。現在は戸籍の性別も変更可能になっているので、「戸籍上の性別」という言い方も適切ではないかもしれません。要は生まれもった方の性別が「バレていない」人です。
 潜伏に憧れるTSは少なくないです。「自分は本当は女」と考えていれば、もっともなことでしょう。一つの生き方の選択肢としてなら、決して悪くありません。ですが、これが必ずベストの選択なのかというと、一概には言えないのではないのでしょうか。
 ある時、筆者の元に一通のメールが届きました。お便りの主はフルタイム生活者らしいのですが、女としての生活を手に入れようとするあまり、男の部分を抑圧する息苦しさに苛まれていたそうです。とうとう耐えられなくなり、敢えて中性的な恰好をしたりノーメイクで職場に行くようにしてみたところ、想像以上の解放感だったということです。その分、時に「くん」づけなどの「男扱い」をされる苦痛もあったとのことですが、適度に男性性を表すことで、気持ちがとても穏やかになったと言います。
 トランスの就労差別という問題を聞くことがありますし、「ノンパスでは就職できない」などと言われます。しかし、職種にもよるので一概には言えませんが、トランスであることのデメリットは、当事者の認識ほど大きくないのではないでしょうか。
 もちろん多少のハンデになることもあるでしょうが、トランスでなくても就労上不利を被る要素は色々ありますし、キャラクター次第で「頑張っている人」などと変に持ち上げられて得をすることも少なくありません。これらは戸籍上の性別が一部バレても構わない、つまり完全潜伏ということは譲歩するからあり得るのであって、徹底して潜伏にこだわるなら「パスしていても戸籍上の性別がバレるから正社員になれない」といった結果になる可能性があります。ノンパスやカムしている方が、仕事に就きやすいケースもあるのです。
 多少特殊なジェンダー/セクシュアリティの持ち主が仕事場に現れても、ほとんどの人は少なくとも表面上気にしない態度を取るものです。もちろん、あくまで表向きのことで、本心ではどう考えているかはわかりません。場合によっては、悪影響を及ぼす可能性もないとは言い切れません。しかしそれでも、人を構成する様々なファクターの一つにすぎませんから、他の諸能力が「デメリット」を補ってあまりあれば、それなりの評価は得られるでしょう。
 潜伏に憧れる気持ちは理解できます。筆者自身、男のスーツにネクタイという格好で働いていた時は、苦痛で仕方がありませんでした。当時は「女装」という言い方をされるのが不快でならず、「今が男装している」くらいの気持ちでした。フルタイム生活になって、確かにこの抑圧からは解放されました。しかし戸籍上の性別を完全に隠すとなると、一人の人間としは、ある意味で男として生きていた時の丁度裏返しをやっているだけになる恐れがあるのです。フルタイム後の一部の仕事では、パスすることが仕事の一部のようになりました。社外に出るときは何としても女として通す必要があったからです。別段悪いことをしているわけでもないのに、「本当は気付いているのに、気をつかって隠してくれているのではないか」などと邪推すると、実に気が重いものでした。
 性自認において女を主張したり、女としての社会生活を手に入れ、戸籍上の名前や性別を変更したとしても、ネイティヴの女とは共有している文化が違います。何より、過去を変えることはできません。男として生まれ男として育てられ、男として生きてきた事実は消えません。「消してしまいたい」と思う当事者もいるかもしれませんが、大切な思いでや昔からの人間関係まですべて捨ててしまうのが幸福でしょうか。
 もちろん、カムすることのデメリットはあります。何かの局面で「要するに男」という扱いをされることもありますし、極少数ですが不躾に好奇の目で見てくる人もいます。あれこれと中途半端な立場で悩むなら、多少の疑問があっても「女」に統一してしまった方が楽なことも多いでしょうし、深く関わる必要のない場面ではカムなどかえって相手を煩わせるだけです。また、状況によってはそもそもカムが許されない場合もあります。あるトランスは、就職の面接時に事情を話したそうですが、男女がはっきりわかれる仕事の性質上「同僚には絶対にバレないように」と申し渡されたそうです。
 ですから、カムする/しないのどちらかを絶対視しようというのではありません。ただ、潜伏がトランスの終着点という認識には、一定の留保をおくべきです。
 ある元職業ニューハーフの方とお話した時のことです。
 現在はデザイン関係のお仕事に就いていて、ジェンダー/セクシュアリティをオープンにして働いています。見た目は女ですが、戸籍上の性別も周囲が知っている、という環境です。会話の流れで、ネイティヴ女性との関係が話題になりました。彼女はネイティヴの女性を「かわいい」と言うのです。
「彼女たちの恋は実ったりするじゃないですか。ニューハーフの子が恋愛しているのを見ると、ハラハラしますよ。一時期盛り上がっても、何年か経って結婚とかそういう現実にぶつかると、結局うまくいかなくなっちゃう。それでもまた恋して、それはそれで何度でもしたらいいと思うんですけど、女の子はちゃんとうまくいくんだから、幸せになったらいいと思う。わたしたちは、どこか世捨て人みたいなところがありますよね」
 なんと達観した見方でしょうか。女性としての社会生活を望み、恋愛対象が男性であるトランスなら、多少なりともネイティヴに対する嫉妬心を隠しているものです。筆者自身にもありますし、彼女にもないことはないでしょう。
 ですが彼女は、結局は女そのものにも成り切れない自分を受け入れ、男とも女とも違う立ち位置というのを上手く実現しているのです。
 何より胸に響くのは、「世捨て人」という言葉です。決して悲劇ぶっているわけではありません。変に「同じ女として」などと求めるより、微妙にズレた場所にいる方が関係がスムーズになることがあるのです。「キャラがかぶらない」ゆえの友好関係というのは、存外に大切なものです。当時女社会にもうまくとけ込めずに悩んでいた筆者は、「変に入っていこうとしない方がいいよ」とアドバイスを頂いてしまいました。
 潜伏も一つの選択肢ですが、元よりネイティヴの男とも女とも完全にイコールになれない存在である以上、「世捨て人」こそトランスに相応しい生き方なのかもしれません。
 加えて言えば、ノンカムで潜伏したとしても、例えば恋愛関係などには容易に入れず、常に社会に対し一歩引いている必要があります。これを考えると、実はトランスはカムする/しないに関わらず「世捨て人」的なのです。トランスが状態の如何に関わらず自己実現困難であること、そして「世捨て人」的な距離感については、「真夜中のトランス」で再び取り上げます。

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