ブロードバンドとメッセンジャーは人を腐らせるか

 Clipper’s Memorize No Future. さんで、「くたばれブロードバンド」「くたばれメッセンジャー」という記事がエントリされていました。
 ブロードバンドは一体、僕らの生活に何をもたらした? 潜在ひきこもり人口を増やして、鬱屈した心理状態を圧迫し続けるだけじゃないのかとすら思います。
 たしかにそりゃ、便利は便利だし、でもこれってほんとうに些細な便利・利便性なんじゃないのかしら。だって、携帯のない時代はみんなそれでも普通に人間関係を自在に構築できたし、それこそ今、携帯なしで友達と会ったりなんてどんどんできなくなっていって、これって何かしらの人間の能力を退化させてるような気がしますよ。
 一応基本のツッコミを入れておくと、ブロードバンドだろうがメッセだろうが、ただのツールであってそれ以上でも以下でもありません。そこに実体的なものを期待して依存に陥ると問題でしょうが、道具として活用する分には善も悪もないはずです。
 とはいえ、こんなものは型通りの「定番ツッコミ」にすぎず、手段は常に目的化するものです。GIDについてさんざん「ただのツール」と言っていますが、実は「ツールとして割り切り切る」などということはもとより能わぬことです。活用度が上がれば上がるほど、ただの道具とは考えられなくなっていきます。なぜなら、「手段」と措定されている対象以前に、「手段と目的」という枠組み自体が構築物にすぎない以上、同じサンボリックなものとして換喩的なズレこみが生じてしまうからです。「実質のある目的」とされているものも「もの自体」なわけがなく、象徴回路の一項に過ぎない以上、「ただのツール」と等価交換されてしまう可能性を常に孕んでいるということです。
 一応「新しいもの嫌い」を自称し(単に流行りについていけないだけ)、テレビもない暮らしで出たトコ勝負に期待を寄せているワタクシですが、ブロードバンドはフツーに使っています。いわゆる「ブロードバンドコンテンツ」というのは利用したことがないのですが、やはりなしでは仕事になりません。というか、ネット依存ぎみなのはブログの更新頻度からみても明らかです。なかなか複雑な心境です。
 この手のテクノロジー話になると、大分以前に触れた予備校時代の恩師のことを思い出します。
 リニアモーターカーが「速すぎる」と憤っておられたのですが、その後ポツリと呟いた言葉が最高に素敵でした。
「でも新幹線の時も同じことを言っていたんですよね。今では毎週乗ってます」
 てらいもなくハイテク依存なヒトたちは問題外ですが、抗いつつも洗脳されて、自覚しながらも日々を生きる、そんなブルースに希望を持ちたいです。
 大切なのは、無駄と知りつつ一応グチってみることです。あがいてみることです。
 本当に無駄かどうかなど、やってみなければわかりません。頭で「無駄」として切り捨ててしまう態度こそ、テクノロジー依存に相当する「リアリティ」の喪失なのです。小賢しい人間に限って、先の先を読み過ぎて行動できなくなるものです。
 別にネットが「仮構」で、会って話すことが「リアル」だとは思いません。どんなチャンネルだろうが、「とりあえずやってみる」「やってから考える」というスタンスを失わないことが、浅薄さに汚染されない砦のように思えます。
 自戒を込めてメモしておきます。
 「万年野党」の意義を感じないといけません。
 と言いつつ、ブロードバンド業者乗り換えのため8/2いっぱいネットがつながらなくなるので、ついでにお知らせしておきます(笑)。急ぎの御用件は携帯にお願いします。
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