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女が煙草を吸うな

女が煙草を吸うな

 先日、道で煙草を吸っていたところ、突然見知らぬおじさんに怒られました。
「なんで煙草吸うんだ!」
 ちょっと「壊れた」感じの人です。
 道で吸ってるのが悪かったのかもしれませんが、虫の居所が悪かったせいもあって相手にしてしまいました。
「吸おうが吸うまいがあたしの勝手でしょ!」
「お前女だろ! 女は煙草を吸わない方がいいんだよ!」
 異様に微妙なシチュエーションです(笑)。
 言葉の調子からして「将来産むかもしれない子供のために煙草を吸うな」ということではなく、単に「女は煙草を吸わないものだ」という意図の様子。絵に描いて額に入れたようなマンガ的ジェンダーバイアスに他ならないのですが、立場が立場なだけに複雑です。
 本音を言えば、それでも「お前女だろ!」と言われたことにいくらかの悦びがあります。こういうバカさ加減というのはいつまで経ってもゼロになりません。これが愚かでみっともないことだ、という自覚すらないトランスセクシュアルも沢山いるでしょう。
 同時に、このような愚劣なバイアスに対して苛立ちもします。それはこのオジサンがどうかしている、ということではなく、むしろ彼がまったく「普通」の善人であることが問題です。つまり、あまりにもバイアスが自然になってしまっていて、単に「文化」といった認識に希釈されてしまっているのです。
 ただこれは、「女だって煙草を吸うか吸わないかは自由だ。そんなことに男女は関係ない」と言って済むことではありません。わたしたちがそのように規定され囲い込まれたジェンダーを活用して生きているのも事実であり、トランスであろうがネイティヴであろうが、ある種の快楽を得てすらいるのです。
 この箱庭の中で規定された女は、つねに対象として疎外されつつ主体化せざるを得ません。実はそんなことは女に限ったことではないのですが、女というジェンダーを通じて「服従=主体」を考えると非常にわかり易くなります。
 これがトランスとなると「ややこしさ」がさらに明瞭になります。
 ある意味、このような抑圧こそ望んだことの一部ではあります。
 一方で、抑圧があること自体が喜ばしいわけではありません。
 ですが、抑圧がなければ主体がないことも事実です。
 このうち最初のステップはトランスセクシュアルならではのもので、これがあるお陰で後の問題にもずっと自覚的に接することができるのです。
 もちろん、答えがすんなり出るわけではありません。様々な適応があるだけです。そしておそらく「クィアであること」も一つであり、さらに「フェミニストであること」というのも、ある意味クィアネスの表現なのかもしれません。
 何にせよ、なかなか面白かったです。
 たまにこういうことがあると、シナプスがブチブチいって気持ちが良いです。
 ありがとね、オジサン(笑)。

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