もしもわたしの愛する人がFtMだったとしたら
トランスセクシュアル/トランスジェンダーには、「トランスの含む二律背反と恋愛」で触れたような絶対矛盾があります。これは「ネイティヴにも成り切れず、かといってトランスセクシュアルになりたかったわけでもなく」という宙づり感と、恋愛における認識のされ方に対する葛藤の、平行性を指摘したものです。
重要なのは、この矛盾が総体として解けることはないにも関わらず、個別事例については「解けたも同然」になる可能性があることです。
……と、いつもややこしい言い方をしているので、半ば自分自身に言い聞かせるように、今日は平易に述べてみます。
想像してみます。
わたしの好きな人が、実はFtMだとわかったとしたら。
あるいは、あなたの好きな人が、実はトランスセクシュアル/トランスジェンダーであり、(ヘテロの場合)染色体上は「同性」であることがわかったとしたら。
実際にあなたの彼や彼女のことを思い浮かべてみて下さい。
果たして、その時あなたの恋愛感情に変化が生まれますか?
少なくともわたしは、愛する人がFtMだったとしても、まったく、寸分も、気持ちは変わりません。実際にそういう事態に出会ったことがない以上、想像の域を出てはいませんが、可能な限り具体的にイメージする限りで、そこで気持ちが変わるなどという事態は理解不可能です。
確かに、多少の見方の変化はあるでしょう。当然のことながら、かなり驚くことでしょう(予備知識のない方の場合なら情報を整理する時間が必要になるでしょうし、当事者であれば自慢の「トランス・レーダー」が働らかなかったことにショックを受けるかもしれませんw)。
当事者の一人として、それまでに彼の「女性的」側面を他意なく指摘してきてしまったことを後悔するかもしれません。また、一時的に意識しすぎて関係がぎこちなくなることはあるかもしれません。ただ、全体としての思いがこの事実一つで変わるなどということは、まるでイメージできません。
もしかすると性行為に及んで、多少不便を感じることがあるかもしれません。ですが、それならそれでケースバイケースに探求してみれば良いのです。セックスに教科書など必要ありませんから、何でも試してみれば良いことです。そして、したいこと、したくないこと、できること、できないこと、わからないことや不安なことがあれば、全部一つ一つ話して確認していくしかないのです。
こんなことを書くのは、わたし自身が典型的な「ダメ」トランスセクシュアルとして、自分の認識のされ方でしょっちゅうクヨクヨしているからです。余計な心配ばかりして、男性に対して積極的になれないでいるからです。
でも愛する側の立場で想像してみれば(つまり認識される側ではなく、認識する側として考えてみれば)、染色体がどうだとか、性器の形状がどうだとか、そんなことはあまりにも小さな事柄です。
当人にとっては重大事だということは、わたしたちが一番良く知っています。でも、そんなことがすべてなぎ払われてしまう関係だってあるのです。しかもそれは神の恩寵でも遺伝子工学の奇跡でもなく、ただの色恋であり、道を歩いているその辺の人が誰でも日頃からやっていることです。
ネイティヴの男性/女性は想像してみて下さい。あなたの彼女/彼氏が染色体上「同性」だったとわかったら、あなたは自分を「ゲイ」だと思いますか? もちろん、ゲイであっても一向に構わないのですが、これがそういう問題ではないことは、簡単に理解できるでしょう。そこであなたの気持ちが変わるでしょうか?
トランスセクシュアル/トランスジェンダーの方は想像してみて下さい。もしあなたの彼氏や彼女が、同じ当事者だとわかったとしたら。そこでほんの少しでも気持ちが変わるでしょうか?
もちろん、中には豹変する方もいらっしゃるでしょうね。でも心配することはありません。
そんな薄情な男は蹴飛ばしてやって、次を探せばいいんですから!!