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思春期としてのトランジション

 トランジション(性別の移行)の時期に、強いジェンダー・バイアスを表してしまうトランセクシュアル/トランスジェンダーが少なくありません。MtFで言えば過剰に女らしく振る舞ったり、年齢に不相応に「女」を強調する服装をしたり、等です。以前はMtF独自の問題のように感じていて「積極的に劣等であろうとするMtFのバイアス」という可能性にばかり目を奪われていたのですが、最近になってFtMの方から同じような意見を伺い、「性差」の垣根を越えた現象であることが確かめられました。
 MtFでもFtMでも、トランジション初期においては「男にとっての女イメージ」「女にとっての男イメージ」にどうしても引きずられてしまうのです。深刻なジェンダー違和を抱えていたにせよ(もちろん、そうでない場合でも)、女あるいは男として育てられた過去がある以上、その男/女イメージに偏差があるのは仕方のないことです。
 このジェンダー・バイアスは、ほとんどの場合は時間が経つに連れて落ち着いてくるもので、人格にこびりつくほど長期間にわたる場合以外、それ自体としては深刻な問題ではないでしょう。一般の方の思春期と一緒で、模索の課程では極端な表現をしてしまうことがままあるものです。わたしも先日、服の整理をしていたところ、あり得ないようなミニスカートが出てきて倒れそうになりました(笑)。犬でも育ちかけの時は耳だけ妙に大きくなったり、バランスが崩れるものです。
 また、トランスセクシュアル/トランスジェンダー全般に、実年齢に比べて若く見える方が多いような気がします。見た目の問題だけでなく、精神年齢的な面についてもこれは言えます。いつまでも「ガキ」でどうしようもないわたしなどが典型です。
 当事者の立場からこれら諸々の点を「思春期だと思って大目に見て下さい」というのは図々しいのですが、少なくともこの「思春期としてのトランジション」という視点は、トランスセクシュアル/トランスジェンダーの不可解な行動を理解する手助けになるのではないか、と思います。

 こんなことを思うのも、色々あって、自分自身の「思春期」がようやく終わりそうだなぁ、と感じているからです。別段ノンカム完全潜伏がトランジションの終点というわけではなく、各人の着地点というのは人それぞれだと思います。社会的移行が必要な人、そうでない人、SRSが必須な方もそうでない場合も、色々です。たまたまわたしにとっては、今が「やっと落ち着く」時期らしいというだけのことです。もちろん、すべての決着がついたわけではないのですが、とりあえずは一段落ということです。
 トランジションの課程というのは、実に長く苦しいものです。少なくともわたしについては、他の様々な状況ともかぶって、毎日がサバイバルでした。本当に死ぬかもしれないと思ったことすらありました。他の多くの聡明なトランスセクシュアル/トランスジェンダーであればもっとスマートなやり方をしたのでしょうが、わたしは実に無知で無計画でした。時期もやや遅かったですし、必要以上に多くのものを捨ててしまったと思います。
 サイトのタイトル通り、トランジションは永遠です。これで終わりになる、ということはありません。ただ移行と再適応ということに振り回される時期というのには、どこかでピリオドを打たないわけにはいきません。
 性の問題からは一生自由になれないでしょうし、また自分の人格を考えてもしょっちゅう怒ったりパニクったり論を打ったり、ということは変わらないでしょうが、これまでよりは少しトランスのことを考えることが少なくなりそうです。
 特別に求められることでもなければ、目立たず地味に普通に生きていきます。

 先日、プライベートで色々あって、特別な日に一人でもう一つピアスを開けてきました。この行動が既にガキなのですが(笑)、まぁ自分では思春期終了の印だと思っておきます。
 思春期終了と同時に即オバサンになってしまわないよう要注意ですね。

2004年12月27日 | トランスをトランスする | トラックバック| よろしければクリックして下さい→人気blogランキング