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子供のいるトランスセクシュアルについて

 2004年7月16日に性同一性障害特例法が施行されました。SRS後のトランスセクシュアルに戸籍の性別変更を認めるものです。その是非についても様々な意見があるでしょうが(註)、当事者内で特に議論の的になっていたものが「子なし条項」と呼ばれるものです。この法律では、子供がいるトランスセクシュアルの性別変更が認められていないのです。
 わたし個人としては、子供が欲しいという欲求がまるでない上いまや作る能力も失っていますから、あまり関心も持たないでいました。また妻子を持ちながら暴走的にトランスを完遂し、家庭崩壊を招いてしまうMtFの例などから、正直子持ちトランスに対してあまり良い印象を抱いていませんでした。「子供かトランスか、どっちも大変なことなのだから、一つくらい犠牲にしなさいよ」という気持ちもありました。
 しかしこの見方は、先日のワークショップでのある人物との出会いで、大きく再考を促されました。ある人物とは、子を持つトランスの会クローバー代表の藤生貴史さんです。実は子供のいるFtMとお会いするのは二回目なのですが、一人目は偶然飲み屋さんで隣り合わせになっただけだったので、きちんとお話するのは今回が初めてでした(ついでながら、最初の子持ちFtM体験も「このオッサン子供産んでるのか」と思うと世の中なんだかわからない気持ちになって、なかなか楽しかったです。人のことは言えないのですがw)。

 藤生さんの印象は、一言で言って「人当たりの良いどこにでもいるおじさん」で、間違っても壊れたGIDなどではありません。一般社会人男性の標準以上にしっかりされた方で、百人が百人トランスセクシュアルだとは思わないでしょう。というより、カムしたとしてもまず信じてもらえないと思います。この人を「お父さん」ではなく「お母さん」だと思えというのは、どう考えても無理があります。
 ただでさえもややこしいトランスですが、子供がいるとなると三重くらいに輪をかけて大変なことになるでしょう。逆に言えば、子持ちトランスにはそれだけの覚悟が求められます。
 パトリック・カリフィア(元パット・カリフィア)は、その著書SEX CHANGESの中でレニー・リチャーズというMtFに触れています。クロスドレッシング的スタンスを取りながらSRSを受け、「女子テニスプレーヤー」としてカムバックした彼女は「生き方としてのトランスジェンダー」最左翼とも言え、狭隘なgender dysphoria「治療」をかく乱するものとして、この本の中でも一定の評価が与えられています。一方で彼女の「女性遍歴」には不審なところもあり、また息子に対してだけはあくまで「父親」として接しながら明白に動揺を与えてしまっている点は、彼女が子供の頃受けたという虐待(明らかに彼女のその後に影響を与えているクロスドレッシング的なもの)を繰り返すものではないか、として批判されています。
 わたしは、何らかの経緯で子供を持っているトランスが希望の性別の身体や社会生活を獲得することには反対しません。まして法律でこれを縛ろうなどという暴挙(というより無粋)が許されるわけがありません。
 しかしそうした問題とは独立して、子供に対する責任だけは持ち続けなければならないことは当然です。これはトランスだから、ということではありませんが、微妙な時期にある子供たちにとって、自分の父なり母なりの性別が変わる、あるいは変わり果てた親が再び現れるインパクトというのは、測り知れないものがあるでしょう。
 わたし自身にも思い当たる節が多分にあるので偉そうなことは言えないのですが、当事者の中には自分のジェンダー/セクシュアリティの問題にとらわれるあまり、まるで周りが見えなくなっている人が少なくありません。辟易するようなMtF手記を苦痛をこらえてひもといてみたりすると、妻子あって暴走しても「受け入れてくれる」などと楽観しているような下りを見かけることすらあります。こういう人が人生で何を学んできたのか知りませんが、世の中はそんなに甘くありません。
 ですが逆に言えば、そこまで重々に考えた上で一度死ぬくらいの覚悟で望むなら、不可能な選択肢ではないことを、藤生さんは身をもって示して下さいました。彼の生き様は実に毅然として美しく、しかも表には悲壮感など一遍もにじませていません。
 加えて、彼のお母様とお会いできたことも得難い経験でした。はっきり言って、わたしと両親との関係は決して良い状態にはありません。自分の今後を考える上でも、猛省をうながされた貴重な出会いでした。

 お子様がおられながら性別違和感などに苦しんでおられる方は、是非一度クローバーにアクセスされてみると良いと思います。ただしこういった団体は「何でも聞いてくれる便利屋さん」ではありませんから、決死の自助努力なしで安易に助けを求めるような態度は厳に慎むべきです。まずは自分一人になっても背負っていく覚悟があるのか、場合によってはさらに人の人生を背負うことになってもやり遂げるのか、よく考えてみてからにして下さい。

註:この法案の成立自体、確かに「大きな一歩」ではありますが、一方で極めて同化主義的な思想に裏打ちされたもので、二極的ジェンダーシステムを強化してしまう側面もあることを忘れてはいけません。だからと言ってもちろん、二極的ではない「生き方としてのトランスジェンダー」的態度を手放しに支持するわけでないことは、繰り返し主張している通りですが。

追記:なんだか切実な感じの文章になってしまいましたが、藤生さんのキャラクター自体は本当に「おもろいおっちゃん」で、決して怖い方などではありません。ヨイショがお上手でかなり乗せられてニヘッとしてしまいました(笑)。

2004年11月17日 | トランスセクシュアル・ポリティクス | トラックバック| よろしければクリックして下さい→人気blogランキング