後悔したっていいじゃない
現在の性同一性障害「治療」には当事者の間にも是々非々の意見がありますが、指摘される問題の一つにプロセス進行の遅さがあります。気が急いている当事者にとって、長いカウンセリング期間を経ないとホルモン投与すら受けられず、オペへの道のりとなると果てしない、という現実は、なかなかに辛いものがあります。後戻りできない選択を安易に歩ませない医療サイドの配慮も尊重に値しますが、わたし自身もフライング組ですから、焦る気持ちは痛いほどわかります。
一方で、受けてしまった治療自体についての意見というのは、あまり表に上ってきません。仮にネガティヴな感想を持ったとしても「せっかく開けた『治療』の道を閉ざしてはならない」という気持ちから、口にできないケースが多いのではないかと思います。また後に続くものの希望を断ってはならない、という配慮もあるでしょう。
トランスセクシュアルは、自身を精神疾患と自認していないにも関わらず、医療化の恩恵によりなんとか生き延びている「最下層」的状態にあるものですから、お上の動向には人一倍敏感です。そのずる賢さは、おそらく医療者やセラピストの想像を超えるものでしょう。SRSの追跡調査について、選択肢のない状況の中で意見を聞いてもバイアスがかかるのは当たり前、ということをパトリック・カリフィアも指摘しています。
しかし、本当に本音を聞き出してみると、医療管理下にあるなしを問わず、少なからぬ「後悔」があるのではないでしょうか。以前、元職業ニューハーフのMtFとお話していた時、「こうなってしまった以上……」という言い方をされていたのとても印象的でした。当事者同士でもなかなか口にできることではなく、その率直さが深く胸に響きました。先日のワークショップでも「気持ちの整理がつかないまま手術の日が来てしまった」という意見を聞くことができ、それを口にする勇気に大変打たれました。
この後悔をもって、現在の「治療」システムに更なる慎重さを求める、ということではありません。システムの如何とは独立して、後悔を伏せてしまう、伏せざるを得ないこと自体の問題を指摘したいのです。
伏せてしまうことは当人にとって重しとなるだけでなく、当事者の選択を誤らせてしまう可能性もあります。その抑圧を作り出しているのはシステムではありますが、隷属することで下支えしているのは、まさにわたしたち当事者自身なのです。
現在の治療システムに問題があるにせよ、ここまで前に進めてきた努力と成果は十分に尊重すべきです。批判はしても、否定するつもりはさらさらありません。だからこそ、むしろ「後悔」についても胸の内に秘めるのではなく、オープンにできる環境を作るべきなのではないか、と考えます。これはネガティヴな面も含めてフィードバックする、というだけでなく、そんな要素があってもなお進むだけの価値を認めたいからです。一つや二つの後悔があったしても、それ以上に得られた安寧と幸福の価値が否定されるわけがありません。
死に至るような後悔があるとすれば、それは確かに問題です。決断の前に熟慮が必要なのは、この問題に限ったことではありません。ですが、後悔というのはそれほど悪いものなのでしょうか。
人は人生でいろいろな決断をするものですが、そのすべてについて「やってよかった」などと断言できる人は皆無でしょう。重大な決断であるほど、無理にでも「正解だった」と思いたいのが人情ですが、それでも後悔のまるでない人生などあり得ません。そして後悔を否定することで身を守る態度より、後悔を認めなお前に進む人の勇気の方が、遥かに輝いています。
ホルモンやSRSを選んで、仮に後悔があったとしても、その後悔を差し引いてプラスであれば、十分に合格点です。そして仮に差し引きでマイナスであったとしても、マイナスな選択は他にもいくらでもあるのであり、決してその人の人生を否定することにはなりません。
昔読んだ漫画作品に、素敵な台詞がありました。
「何を選んでも後悔はするものだ、だからせいぜい好きなことをやってから後悔する」。
命に関わるかもしれない選択ですから、安易に向こう見ずを勧めることはできません。ですが、人は決める時には決めるものですし、進む時には本人すら望んでなくても前に出てしまう時があります。それを後で多少後悔することがあっても、それはそれで人生です。
後悔したっていいじゃないですか。
少なくとも、後悔していることを恥じる必要はありません。いわんや、その勇気ある後悔の告白をもって、鬼の首でも取ったかのように先人の築いてきたものを穢す権利など、どんな「医療者」にも「当事者」にもあるわけがありません。