多分、この錯覚を求めて
イヤなことを書くかれど、わたしにとって恋愛とは、かなり「ネタ」だ。
なんというか、きゃぁきゃぁ言うのは好きだし、人一倍気軽にそういうことを喋るけれど、基本的に常に第三者のような気がする。
別に悲劇ぶっているわけではなく、この感じを楽しんでいるところもある。妙に冷めている。
似た立場の方と意見が合ってしまったのだけれど、普通の「恋愛」の風景を見ていると、正直滑稽に思えてしまうことが多い。
全然嫉妬してない。むしろ素朴に「いいね」「かわいいね」と思うのだけれど、ちょっとおかしい。ヤなヤツだねぇ。
まぁもちろんフツーに「恋愛したいなぁ」という気持ちもあるのだけれど、自分へのツッコミの方が先に来るというか。
別のものですり替えてしまったり、そもそも恋愛こそ何かをすり替えたものちゃう?と思えてならなかったり。
いや、すり替えで結構なのよ。
人生、自分を騙せてナンボやからね。
だから騙せないのはつまらないし、騙せてるうちは覚めちゃだめだと思う。
多分、恋愛に一番近いのは、手の届かなくなった過去だ。
道を歩いていると、時々時間の中を泳いでいる気分になる。
目の前にあるものがすべて遠く、失われたものであるように。
少し寂しいけれど、その風景はとても懐かしく、美しい。
既に死んだ人間が、虚空から地上を眺め、人間たちに末永く幸あることを願うように。
恋愛が人をdriveするとき、本当のエンジンは過去にある。
かつてわたしであったけれど、今はわたしではなくなってしまった「本当」を求めるからこそ、きっとみんなあれだけ恋愛に熱が入るのだろう。
もちろん、人は人であって、過去ではない。
だから、こうして風景を眺めるような生き方というのは、ずるいけれども、永遠に覚めない夢を生きているようにも思える。
これは宿命だろうか?
多分、違う。そんな劇的なものじゃない。
三分の一くらいが甘え、三分の一くらいが焦り。
残りの三分の一くらいが神様の気まぐれだろう。
古い友人の男の子から届いたディスクを聞いていて、そんなことを考えた。
元気かな、カレ。
もちろん、わたしは彼に恋していたことなんてないし、これからもない。わたしにとって以上に、彼にとってあり得ない。
でも存在すらしなかった過去のある時には、永遠に不可能な恋愛があったようにも見える。
多分、この錯覚を求めて。
2006年01月29日 | 地球潜入リポート | よろしければクリックして下さい→人気blogランキング