女装カルチャー
(このテクストは当初、「〈女〉を巡って」および「真夜中のトランス」の前座的ポジションとして、トランス問題についてかなり茶化した調子で語るために用意されたものです。相当バイアスのかかった内容で、ほぼMtFのみを話題にしており、また筆者の主眼自体上のテクストにあったのですが、一つのものの見方として試みに公開してみるものです。なお、筆者は現在の性同一性「障害」治療を全面的に是としているわけではありませんが、これを否定したり先人の労苦を軽んじようとする意図はまったくなく、実際個人的には多いにお世話になっていることを明記しておきます)
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前項ではいささか怪し気な分類を作ってみましたが、更にどちらとも異なる文化があります。
それは女装の世界です。
夜の世界には、「女装スナック」とか「女装クラブ」と言われるお店があります。女装した姿で気軽に飲めて、他の「女装娘」さんとの出会いがあったり、「女装娘」好きの男性とお話したり、というところです。「変身」できる場所やお洋服を預かってくれるロッカーを備えているところもありますし、お店によってはメイクや女装姿の記念撮影といったサービスも行っています。
これらのお店のお客さんにも色々な人がいますが、その主流はニューハーフカルチャーにもTSカルチャーにも属さない人々です。
まず、この方たちは職業的に女装しているわけではありません。動機は様々にしろ、仕事で女の格好をしているわけではないのです。ショービジネスとしてのニューハーフの世界に関心を持っているわけでもなければ、お客さんとしてニューハーフのお店に足を運ぶこともまずありません。
一方で、「男なのに女の格好をしたい」という自分の気持ちを「病気」として認識している人もあまりいません。中にはGIDの診断ガイドラインに沿って「治療」を受けている方もいますが、極少数です。女性としての生活や身体を本気で求めている人も、割合としては多くありません。ただし、数は少ないですが「GIDではなく女装です」と宣言しながら、フルタイム、つまり生活のほぼすべてを女装で送っている方もいらっしゃいます。
ネット上には、「トランス系」と呼ばれる一連のサイト群があります。その多くが自分の女装写真などを公開している個人サイトであり、ここで「女装カルチャー」と呼びたい文化に属するものです。
もちろん、女装スナックにも来なければネットデビューもしていないけれど女装している、という方は沢山います。職業ニューハーフでもなければ、GID診断ガイドラインに沿った「治療」を受けているわけでもない、という人々です。ニューハーフカルチャーともTSカルチャーとも異なるのです。
TSカルチャーでは、「女装」という言葉は「オカマ」「ニューハーフ」同様に嫌悪されます。なぜなら、女が女の格好をしていても「女装」とは言わない以上、「女装」と呼ぶことは「男である」に等しいからです。「身体は男だけれど本当は女」というスタンスに立つ限りは、「女装」という言葉を容認するわけにはいかないのはもっともです。
ところで、ニューハーフカルチャーが「職業」で、TSカルチャーが「病気」という風に乱暴にまとめてみるとしたら、女装カルチャーとは「生き方」に対応しているのでしょうか。そうとも言えますし、そうでないとも言えます。
「生き方」というスタンスとしてトランス人生を歩んでいる、という意味では、ニューハーフカルチャーにもそういう方はいらっしゃいますし、また社会的事情でGIDの治療下にある人でも、少なくない人が「本当は生き方の一つでしかないのに」と感じています。女装カルチャーは〈生き方としてのトランスジェンダー〉の王道にも見えますが、女装スナック等に飲みに来るお客さんに限れば、その多くは「生き方」としてすら女装をとらえていない傾向が強いのです。「やめられない遊び」といった程度でしょうか。
「生き方」という視点は、「職業」「病気」に比べれば軽いようですが、これを貫徹して歩もうとすると決して容易ではありません。そこまで自覚的な人になると、飲み屋さんで一時の快楽にふけったりはあまりしないのです。洗練された人は、女装スナックよりはオシャレめの「トランス系」「女装系」のイベントを好みますし、更に真剣になると、遊びのイベントなどには顔を出しません。〈生き方としてのトランスジェンダー〉を主張する社会運動系グループといった文化に流れてしまうのです。〈生き方としてのトランスジェンダー〉はTSカルチャーとも連続しており、プレイ的な女装よりはむしろこちらに近い位置にあります。
女装スナックという場所は「隔離された避難所」であって、日常生活とは区別して「遊ぶ」ところです。一概には言えませんが、多かれ少なかれ「普段は普段、女装は女装」と割り切る場所です。ある意味、非常に保守的な枠組みの中にあるのです。実際、女装者には「自分はホモではない」ということを強く主張し、一般ヘテロ以上に同性愛を嫌悪する人がいます。必ずしもGID的な意味で「性自認と性対象は別だ」と訴えているのではなく「俺は女のカッコが好きだからしているんだ、ホモなんかと一緒にするな」というのです。またGIDを毛嫌いし、果ては「GIDなど妄想だ」と言い切る人も存在します。
〈生き方としてのトランスジェンダー〉を主張しようとするなら、程度の差異はあれ、どうしても既成の社会システムに対して抗わなければならなくなります。正面から対峙するとは限りませんが、〈生き方としてのトランスジェンダー〉はまだまだ一般的とは言い難く、貫き通そうとすれば嫌でも社会の荒波に揉まれることになります。女装カルチャーと〈生き方としてのトランスジェンダー〉には、既成システムの中で「隔離」されるか、世の中に積極的に向き合っていくか、という違いがあります。
ただ、世の中全体の流れとしては、少しずつではありますが、ユニセクシュアリティや性のグラデーションを認める方向にはなってきています。〈生き方としてのトランスジェンダー〉の求める水準には程遠いですが、少なくとも一昔前に比べれば大分寛大、悪く言えば無関心になったと言えるでしょう。そう考えると、女装スナックという避難所は、次第に社会的役割を終えていく運命にあるのかもしれません。事実、女装スナックの利用者はゲイバー等に比べると年齢層の高い人たちです。はっきり言えば、オジサンくさい世界なのです。
もちろん、社会が根本から変わることはそうそうないでしょうし、「隔離」の終焉にはまだ時間がかかるでしょう。また、コミュニティという意味で特別な場所が存在すること自体は「生き方」派にとっても有意義です。〈生き方としてのトランスジェンダー〉的スタンスを取る人が交流の場として女装スナックを利用することもあります。オシャレ系の女装者がオフ会などで集まることもあります。