アクセス解析

失敗の失敗としてのトランス

 「『イノセンス』DVD予約受付開始」に頂いたスサさんのコメントに、セクシュアリティ関係のレスを返していたのですが、長くなりそうなので以下にエントリを立てます。
 小難しくなるので、興味のない方は読まないように。

 「本来多様なもの」が二分法によって整理されているのがおかしい、ということではりません。ここで「多様性」と言ってしまうと、結局は「人間」という一般性を暗黙裡に主張してしまうことになるだけだからです。
 「男/女」という二種類の「人間」がいるのではなく、「人間」の失敗形として「男/女」があるのです。つまり、全体のなり損ねのヴァリアントとしての「男/女」です。人間は、全体としての「人間」になり損ねる、つまり去勢によって初めて人間として成立します。しかもこの去勢が完全であることなどあり得ませんから、わたしたちは常に「人間」である以前に男か女なのです。
 なり損ねのヴァリアントが二種類であるのは、「男/女」の原形が「全体/部分」だからです。

 この分脈でトランスを考えると、「失敗に失敗した者」という見方ができます。
 「男」も「女」も、全体のなり損ねという傷口を覆うために形成された症状であり、だからこそヘテロセクシャリズムという「補完幻想」が極めて強力なのです。「男」も「女」も、抹消された主体として語り出す以上、かつて自分であった語り得ぬ肉片を対象=原因とする欲望の回路によって「正常さ」を保っています。
 ところがトランスでは、この失敗にすらうまくのりきれず、全体になるために象徴的去勢ならぬ現実的去勢が現前化してしまいます。これだけだと単に精神病者なのですが、トランスの面白いところは、この現実的去勢という行動そのものが必ずしも葛藤の解決とならず、あたかもこの精神病的現象全体がヒステリーの一症状であるかのごとくふるまうところです。
 トリッキーな言い方をすれば、失敗の失敗にもさらに失敗し、最後には普通の失敗者になるのがトランスなのではないか、ということです。このような割り切れない(2で割り切れない)現象があるのは、そもそもの始まりが「失敗」だからです。それが「失敗」である以上、「もしかして成功できるのではないか」「成功できたのではないか」という剰余が常に産出されるのです。すなわち、二分自体によって二分できないものが産み出される、という逆説的構造です。

 「『/』だけが圧倒的現実である」というのは、「健全な人格」が成り立つ
ためにヘテロセクシャリズムという唯一の装置、もっと卑近にはファンタジー一般によって覆われているのが、「全体になり損ねた時の傷」だからです。そして存在するのはこの傷だけであり、逆転して一般に現実と呼ばれている想像的なものの中には、この傷だけが無いのです。
 ただし、これだけですと「外部は無い」という、教科書的構造主義の見方(そして「ポスト構造主義」なる代物)に堕してしまう可能性があります。傷は「無い」はずの外部として内部をドライブしはしますが、まったく不可視なわけではありません。わたしたちの幻想のスクリーンの中にも、この傷の影が映り込む瞬間というのが確かにあります。

 たとえば、トランスという「奇形」に初めて出会った時。とりわけ当事者が、自身と呼ばれる者に


 『押井守』ムックのテクストではもう少し親切だと思うので、よろしくお願いします(笑)。

2004年07月06日 | トランスをトランスする | トラックバック| よろしければクリックして下さい→人気blogランキング
コメント

かさねがさね有難うございます。多分けっこうわかってきました。

このブログでの「二分的な構造」の話と、押井ムックでの「去勢」の話と、いままで私の脳内でさっぱりリンクしてなかったのですが、やっと、繋がりが飲み込めてきました。


文献の推薦、ありがとうございます。
セミネール11巻の和訳というのは、「精神分析の四基本概念」というタイトルで出てる本ですよね。「エクリ」が超難解であるという話は聞いたことありましたが、そうですか発狂するほどですか(恐)。
どーでもいいですが、自分は大学生のころは(って、つい最近ですが)、日本文学をやっていたので、語学力の必要にあまり迫られず、必要に迫られない限りは頑張らない人間なので、外国語がサッパリなオトナになってしまいました。無念。。。

Posted by: スサ : 2004年07月08日 00:06

眠れないので見てみたらレスがっ。
こんなぶっきらぼうな説明で御理解頂き、感激です。
色々突っ込んでもらえるとわたしも勉強になるので、助かります。唸ってなんとか文章にしている時だけは生きてる感じがいたします。

11巻は「四基本概念」です。とても良い訳だと思います。多分に私情も入っているのですが(笑)。
ラカンに関して入門書を称するものが沢山ありますが、それ自体一つの思想になっているのは言わずもがななので、とりあえず訳のあるものだけでもラカン自身に組み付いてから読まれた方が良いと思います。
11巻以外で日本語で読めるものとしては、2巻もまとまりが良いです。7巻「精神分析の倫理」はアンティゴネーのことを考える時に必読です。わたしは読了後にふと本屋に寄ったら訳が出ていて非常にショックを受けました(笑)。
セミネール全般に余談が多いので、日本語でスピードをつけて読むのは良いと思います。いくつかのものは英訳の註が非常に便利なので、英語がなんとかなりそうなら、併せて読むと役に立ちます。
「エクリ」所収でアタマの固いラカニアンが大好きな通称「欲望の弁証法」についての論文が、わたしの別サイト「残響塾」に「意味の意味」としてアップしてあるので、気が向いたら覗いてみて下さい。結論部以外は間違いすぎていないと思いますし、わかりやすいはずです。
セミネールの取っ付き易さ(ラカンにしては)は、とにかくミレールに負うところが大きいです。ミレールのテクストはまとまったものの訳がないですが、短いものは色々な本にちょろっと入っています。ちなみに、人格的にもすごく「イイ人」らしいです。
英語圏でのラカン概説書として最も一般的と思われる"Lacan and language"J.P.Muller,W.J.Richardsonも結構使えます。エクリに取りかかるときには脇に置いておくと良いと思います。

Posted by: 石倉由 : 2004年07月08日 01:08

どうもです。ラカン情報もろもろメモっておきました。

「残響塾」ってこんな役立ちテキストが掲載されてたんですね。今まで気づいてませんでした。
「意味の意味」、読みました。正直、修行の足らない私にはよくわからないところもありましたが(グラフが完成するあたりで、脳味噌がウニウニしました…)、非常にためになりました。

昨日、近所の古本屋でジジェク「斜めから見る」を発見・購入しました。3分の1ぐらいまで読みましたが、「意味の意味」を読んでなかったら理解不能であったであろう箇所多数です。多謝です。
ジジェクの著作では、以前に「『テロル』と戦争」を読んだのですが、ラカンに関する基礎知識も無しに理解できるはずもなく、こりゃラカンを勉強せねば!と思ったんですが、、、思っただけで、現在に至ってしまったわけです。たは。


以下、スレ違いな話題ですが。
「外科医」の冒頭の、「とにかく予定が決まっているのに、さっぱり準備が出来ていない」っていうシチュエーションって、夢によく出てきますよね。というか私はそういう夢をたまに見ます。あーどうしよう間に合わない!とか思いながら目が覚めたりします。
私は(一時期、筒井康隆にハマっていたためか)、「夢(のような世界)を描いた小説」が好きなので、「外科医」、かなりツボに来ました。

Posted by: スサ : 2004年07月11日 02:22

コメントありがとうございます。
残響塾、一時的に落ちています(笑。近日中になんとかいたします。古いものしか置いていませんが。
今、ラカンにとっかかるとしたら、ジジェクは非常に良い導きになると思います。というか、ジジェクほど平易なラカニアンのテクストはないでしょう。トリックスター的なところがラカン先生の系譜をひいてますし(笑。
小説、気に入って頂いて嬉しいです。営業じゃないですが、あれがツボのようなら、「ゴルバチョフ機関」はかなりヒットするはずです。

Posted by: 石倉由 : 2004年07月12日 22:21
コメントする









名前、アドレスを登録しますか?