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MyClipの功罪 | eternal transition::ジェンダー/セクシュアリティ
Categories: ブログ ネット

MyClipの功罪

 MyClipが話題になっていますね。もう古いネタなのでしょうが、わたしにとっては新しいので知ったこっちゃありません。
 さしあたって利用する予定もないので外野から眺めていたのですが、きのうの出来事さんの「MyClipの欠陥」を拝読したりして、ちょこっと反応してみます。

 設置していないワタクシとしては、始めて訪問したブログを「そういうのが好きなヒトなのね」と素早く理解できるところが便利なのですが、疑問に思う所もあります。
従来のトラックバックやコメントでは、自らのサイトにいるだけで相手からのメッセージが伝わってきます。MyClipは、自分の記事にリンクが張られているのに分からないといった、謂わばトラックバックという仕組みができる以前のネットの世界といった感じすらします。もともと世界中で誰が見てリンクを張っているかなんて知りえないし、知ろうとすら思いません。
 そうなのよね。
 古い人間なのかもしれませんが、トラックバックというシステムにはとても好感が持てるのです。自分の発言を自分の著名で、しかも自分の場所で発信する、というのは、所在が明確になる感じで好きなのです。「所在確かならぬ」ことのメリットが時に大きいこと認めつつ、やはりこういう発言の仕方を信じたいのです。
 掲示板的なわちゃわちゃしたノリは鬱陶しいですから、言いたいことがあるなら形にまとめて発表すればよいのです。その上で、「参照しましたよ」とか「文句あります」といったお便りだけ送るのです。
 MyClipというのは、せっかくこういう仕組みができているのに、もう一度標準化してしまうシステムにも見えてしまうのです。
 もちろん、ザザーッとサーチする時に本当にどうでもいい記事が排除される、という良さはあるでしょう。「多くの人にとって価値がないもの」が足切りされる、という底上げ効果です。スッキリとしたランキングを作る、という機能は大きいすし、これを期待する場合には、わたしも遠慮なく活用させて頂きます。
 しかし一方で、ある記事の評価が、単に「Clipされている」という事実の集積に還元されてしまうとしたら、オイシイ所を逃してしまっている可能性もあるのです。評価主体の明示性が低いゆえに評価の質的側面が排除されている、ということです。
 まぁ、MyClipが別の形式を否定してしまうわけではないですから、併用するなり使い分けるなりすればよいことなのですが、正直「そんなに注目することですか」という印象を拭えません。
 世の中的には「下を切り捨てて標準化する」という大きな流れがあります。数値化・統計化という運動です。
 医療の世界でも標準化が議論されています。DRG/PPS導入(日本ではDPC)やらクリティカルパスやらEBMやらと、従来医師の裁量にまかされてきたものが、「こういう診断なら、こういう治療で、薬はこれだけ、点数はいくら、その理由はこれこれ」という形で決めて行こう、というものです。薬を出せば出すほど儲かるシステムを是正し医療費を抑制するためのもので、それはそれで大いに結構です。「ウチではいつもこうやっているから」といった経験則が幅を効かせすぎている現状には、確かに改善の余地があるでしょう。
 ただこれは、あくまで「ダメすぎたものをそこそこにする」という効果があるだけです。標準化というのは、やり方を間違えると、本当の抜きん出ていた部分、数値化困難な側面を切り捨ててしまうという危険があります。
 だからこそ使い方なのです。
 ネットの世界は、もともと標準化の果てにあったとも言えるでしょう。無数の情報がとにかく存在し、サーチエンジンの表示順などを頼りに求めるものを探し当てていく。掲示板ではまとまりのない匿名の発言が飛び交う。こういう雑多性のメリットはもちろんあります。
 一方で、質としての信頼性に乏しいという欠陥がありました。情報自体の信頼性、さらにネットを通じての人間関係となると、実に危ういものです。個人的には、原則として顔を見て話す関係しか信じません。
 ですから、例えばトラックバックのようなシステムの出現は、ネットの世界全体のバランスを取る効果があったと思うのです。
 医療はともかく、言論なんてものはブッ飛んでいてもすぐ人が死ぬ訳じゃない所が面白いのです。やたらに「責任を明確にせよ」などと叫ぶつもりは毛頭ありません。ですが、「評価理由と主体を明示する」という古典的な形式は、発言とその対象に信頼性とパワーを持たせるブースターでもあったのです。
 MyClipは単純にランキングのための道具なわけではないですから、少し話がズレてしまいましたが、個人的には良くも悪くも本当に抜きん出たものや人を探し当てたいです。まぁ、この情報の洪水にあっては「それに出会うためにもまずは標準化するんだよ」と言われてしまっても仕方ないのですが。
 なんだか年寄りくさくなりましたね。


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