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女性性器と傷 | eternal transition::ジェンダー/セクシュアリティ
Categories: トランスをトランスする2

女性性器と傷

 「SRS記録」「性器の『見せっこ』について」で「まだ性器というより傷の状態」と書きました。いつからwoundがgenitaliaになったのか、あるいは今もwoundのままなのか、などしょうもないことを考えたりしたのですが、そもそも女性性器と傷というのは縁の深い概念なのではないかと思います。
 「割れ目」等の俗語表現を待つまでもなく、解剖学的な知識がなければ、女性性器は男性性器の対称物としては認識されないはずです。ネイティヴ女性の友人から「おしっこの穴とウンチの穴以外にもう一つ穴があることを知ったときは驚いた」という話を聞いたことがありますが、当の所有者すらそこに「穴」があって、何かが入ったり子供が出てきたりといったことまでは知らなかったりするものです。
 そもそも「性器」という大きなくくりがあり、「男性」「女性」それぞれのタイプがある、という考え方自体特殊近代的なもので、例えば子供が男性と女性の股間を見比べたら、抱く率直な感想は「何かがあるヒトとないヒトがいる」という見方でしょう。
 つまりわたしたちが「女性性器」と呼んでいる部位は、医学的・解剖学的見方ではなく言語的なコンテキストで考えるなら、何かが「ある」というよりはむしろ「ない」状態、何かの「無さ」それ自体と言っても良いでしょう。
 さらに解剖学的に言っても、膣というのは「穴」、つまりそこに何かが無い、という点が重要です。養老孟司さんが『唯脳論』の中で「構造としての肛門は存在しない。機能としての肛門だけが存在する」(ぎっしり詰まっていたら肛門としては機能しない)ということを書かれていますが、そういう意味での「無さ」です。
 しかし人間は「無さ」自体を直接に認識することはできません。無いものは無いのですから、「無さ」を言うためには「何か」の「無さ」でなければなりません。平たく言ってしまえばこの場合はペニスが無いということで、精神分析学的にはファルスの話に当然連なるのですが、ここでは難しく考える必要はありません。要するに「無さ」を表すにはなくなるべき「何か」の想定が必要なのですが、これが想定されるということは、その「何か」は存在する可能性を備えているということであって、つまり「かつてペニスがあったが今は無い(去勢!)」とか「これから生えてくるかもしれない」といったファンタジーへとつながっていきます。
 少し遠回りをしてしまいましたが、ここに女性性器と傷の近親性があります。
 つまり女性性器とは、「何かがあったけれどそれが無くなった跡」「痕跡」「傷跡」という文化的コンテクストを背負っている、ということです。わかりにくければ、子供であればそういうファンタジーを抱きうる、と考えてください。わたしたちは「科学的」とされる第三者的知見に強く汚染されていますが、そういったものを取り払った時にどのような認識が生じうるか、別の言い方をすればわたしたちの遠いご先祖様たちはどう考えていただろうか、ということをイメージしてください。当時(個体発生の上でも種の歴史でも)の認識が直接想起されることはなくても、サブテクストとしては日々の語らいに必ず影響しています。
 SRSしたMtFの「性器」は、図らずしてこの性器=傷という文脈をマンガ的なまでに再描画してしまっているわけです。
 「傷跡」という視点も重要です。
 傷跡は痕跡、何かの残りですが、ただの足跡ではなく、切断の歴史を刻んだものです。あるいは、文字通り「刻まれた」過去の現在における残響です。
 過去は過ぎ去り、今はないものですが、その痕跡は今目の前に存在します。わたしたちは過去や歴史から完全に自由になることも捨てられることもありません。過去は手の届かないもので、わたしたちは過去から「切断」されることで今ここにいますが、「切断」の跡は消えることがありません。この不気味な連続性を端的に表象しているのが「傷跡」です。
 フロイトは「子供時代は、それ自体としてはない」と言いましたが、わたしたちは常に既に手遅れな形で過去から切断され存在します。「気づいたらここにいた」のです。そしてこの始原の切断の傷跡こそが性であるゆえに、性は生と連なるのであり、また「傷跡としての女性性器」という連想は単なる思い付きではないのです。
 「男/女」とはつまるところ「/」そのもの、切断する線自体であることは「真夜中のトランス 前編 後編」で書きましたが(本サイトの中心テクストなので、是非参照してやってください)、この「/」を表象しているのがファルス、つまり「ペニスがある/ない」というスイッチです。女性性器とは「ない」スイッチの入った状態、つまり何かが取り除かれた痕跡ですが、まさにそれゆえに、実は男性性器より一層性の本性に根ざした「傷」です。というのも、性はそもそも(過去からの切断という)傷だからです。
 「わき腹の傷は額の傷?」で、やや軽躁的に傷をポジティヴに語っていますが、傷というものはその人の歴史を物語るものであり、時に年輪のような重厚な美を宿すものではないかと思います。
 もちろんわたしも「女」の端くれですから、できることなら傷跡は残って欲しくないです(笑)。しかしそれでも、人が生きるということは傷を負うことであり、皺が刻まれることです。そこから自由になることはないのですから、どうせなら美しい傷や皺を負いたいです。
 クウェンティン・クリスプのことを書いたときに皺の美しさに言及しましたが、できればあんな風に年をとりたいものです。
日本女性の外性器―統計学的形態論
追記:
 「トランスセクシュアルと外国人–Legal Alienをめぐって」で「違和感を補完するものとしてのトランスセクシュアリティ」という視点を取り上げ、しかし「何でも良さそうなものだったのに、どうしてもセックスに落ちていく」(他の理由でも良かったようなものなのに、どうしても性が問題にされてしまう)点については別の論で取り上げたい、ということを書いていましたが、以上の記述が良いヒントになったのではないかと思います。

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